ホームスクーリングについて

わが家は4人の子どもたちがホームスクーリングで育ちました。一度も小中学校へ通わず、高校へも入学していません。不登校ではありません。全く誰からも勉強を習うことなく、完全独学で小中高の勉強をやってきて、一番上の子(ハル)は国立大学へ合格しました。2番目も国立難関大学めざして勉強中です。

塾も習い事も家庭教師も一切なく、完全に独学でやってきました。名目上、地元の公立小中学校に在籍し、教科書もいただいています。しかし、一度も登校したことはありません。学校や教育委員会との関係はきわめて良好です。わが家にとってホームスクーリングは絶対的なものではなく、学校を否定するような思想もありません。状況が変わるか、子どもが望むかすれば、学校へ通ったでしょう。たまたま今までホームスクーリングでやってきただけで、ホームスクーリングにこだわるような考えはありません。

このサイトでは、ホームスクーリングはテーマではありませんが、独学について述べる際、ホームスクーリングの経験に基づくところが大きいので、ホームスクーリングへの言及が多くなります。しかし、ホームスクーリングを他人へ勧めることはしません。あまりに難しいからです。親、子ども、親戚、近所、学校、教育委員会の理解と協力があり、良好な関係が築けなければしんどいです。さらに、親の努力と責任も大きいです。子どもが自らを律することも強く求められます。

わが家では、今のところ、ホームスクーリングのおかげで、学力、社会性、主体性など、子どもたちがたいへん良いように育ってきたと感じています。それは、周囲の環境にめぐまれてのことだと、感謝しています。そのぶん、社会に還元しなければ、という思いが強いです。

スタート

ホームスクーリングに対して熱い思いを持っていたわけではなく、きっかけはハルが小学生になる1年前に地元の小学校が統合により廃校となったことです。地元の小学校がなくなったから即ホームスクーリングではなく、いくつかの選択肢を検討して、かなりためらいながら、ホームスクーリングを選択しました。

ホームスクーリングのきっかけは廃校ですが、理由は廃校ではありません。2006年に廃校になり、ホームスクーリングを始めたのが2007年です。当時、世の中が変わりつつあり、指示されたことをまじめにこなしていくだけでは生きるのが困難になっていくだろうと見えていました。子どもたちがおとなになり、年をとるのは60年かそれ以上も先の話です。そのころの世の中はどうなっているでしょうか。昭和と同じではないでしょう。だんだん、主体的に物事を考え行動することが重要となっていくでしょう。多くの人がそんなことを言っていました。私の目にも、とうぜんそうなるだろうと見えました。(あれから13年、その動きは加速しています)

だったら、自ら学び自ら考えて行動することを幼い頃より徹底してもいいのではないか、というのが、ホームスクーリングを選択した理由です。

「義務教育」の期間、学校へ行かないのは、法律違反では?

そういう声をたまに聞きます。教育は権利であって、義務ではありません。義務であるのは、子どもが教育を受ける権利を大人が実現することの義務です。子どもが教育を受ける権利は、宗教などの特殊教育ではなく、普通教育でこたえねばなりません。学校に行かせることではありません。教育のあり方を自ら選択する権利が子どもにあることは、子どもの権利条約で記されており、日本は同条約を批准しています。国内法より条約が優先し、子どもの権利条約で国内法が解釈されなければなりません。教育基本法でも、普通教育を受けさせなければならないとされていて、学校へ行かせなければいけないとは書かれていません。教育基本法の下位にある学校教育法で、就学の義務が書かれていますが、それは、子どもの権利を担保するという文脈で理解されねばなりません。

簡単に言うと、日本ではホームスクーリングは違法ではないが、合法(法で規定されている状態)でもない、ということになります。不登校も、法律違反ではありません。ホームスクーリングが積極的に推進されているわけでもなく、認知されているわけでもないので、微妙な立場です。子どもが学校へ行きたがるのを無理に親がとどめるなら、虐待の可能性が問われるかも知れません。

小中学校は卒業が認定されますが、そのままだと中卒です。高卒認定試験に合格することで、高校卒業と同程度という扱いになり、大学等の受験も可能になります。中学校へ行かなければ内申がないので、高校進学はきわめて限定されますが、高校まで無登校でも、大学受験は普通に可能です。

経緯

そんなことで始まったホームスクーリングです。

ハルは小学生の頃は勉強嫌いで、ホームスクーリングをやめて学校へ行かそうかと、よほど迷いました。そう言うと、ハルはしぶしぶ勉強を始めます(やるまねをしました)。そのあたりのことは、本人が書いています。ただ、幼い頃よりかなりたくさんの本を読み聞かせ、本人も読んできましたので、読む力は、並の小学生より格段にすぐれていました。たくさんの本を読んでいると、だんだん自分でも人生について考えるようになり、このままではマズいかもと思い始めたのが中1あたり。それ以降は、自ら進んで勉強し、小学校時代の遅れを取り戻していきました。今21歳。高校も大学も行かず、社会へ出て行く修業を模索しました。ホームスクーリングだと、雇われる仕事より、自ら営ずる仕事の方がフィットします。これからの世の中、雇われることはリスクになっていくと思います。いきなり起業は難しいでしょうが、まずはさまざまな経験を積むことです。17歳で高卒認定試験合格、18歳で普通免許取得、19歳で英検2級に合格しています。しかしその後、大学へ行きたいと思い直し、受験勉強を始めて1年半後、後期日程で三重大学に合格し、現在は三重大学生です。

ナツとアキは、ハルを見ています。ものすごく本を読むことはハルと同じような感じですが、幼い頃より勉強大好きで、小学校低学年より、完全独学で、問題なく進んでいます。ナツは中学生の頃、やや勉強が停滞気味になりましたが、それまでの蓄積がものをいい、勉強への理解は支障を生じていません。

ナツは15歳ごろから、海外への関心が高まり、日本人・外国人との交流に熱心です。いろいろな国の若者と文通(郵便もメールも)をしたり、あちこちの交流会に参加したり、1人で伏見稲荷へ行って外国人とのコミュニケーションを試みたり、外国人が多く泊まる民泊に1人で泊まりに行ったり、アクティブに動いています。学生証がないので、身分証明書として原付免許を取得しています。高2年齢の夏、大学へ行きたいと思いたち、受験勉強1年半後、志望校に落ちて現在1浪中です。

アキはたいへん勉強熱心で、自ら希望して模試をなんども受けています。多量に本を読み、とくにアガサクリスティはほぼ全部(ハヤカワ文庫で100冊ほど)読了し、推理小説を「執筆」しています。書き直しも含め、1000枚は書いたと言っています。模試の成績は(具体的には書きませんが)非常に高いです。今、16歳(高2年齢)です。

フユは小学1年生のとき、問題文を理解できず、独学ができませんでした。上の3人と違って幼い頃の読み聞かせが足りなかったことを反省し、小学1年生から読み聞かせをたくさんたくさんしていると、1年ほどで独学が成り立つようになり、小3あたりからは自分でどんどんと本を読むようになり、小4あたりからは、猛烈に読むようになっていきました。そうなると、勉強の理解も劇的に進み、小6あたりでは、テスト問題をやっても、十分理解できたと見えます。現在中3です。高校受験はしませんが、模試を受けると、かなり高い成績をとるようになりました。

独学の教材は、別ページにそれぞれ(小学生中学生中高生高校生)詳しく書いています。4人とも、幼少の頃よりベネッセの進研ゼミ(チャレンジ)を中学終了まで続けています。中学生では、みな、ハイレベルコースを選択しています。小学生から基礎英語で英語学習を始めました。英語も独学です。読み書きです。暗唱と、テキストを見ずに書けるように練習する。それと中高の参考書・問題集などで、英検2級合格です。

読み書き(多量の読書と日々の書き写し)が独学を支えてきたことは、強調してもしすぎません。それをこのサイトでお伝えしていきます。

ホームスクーリングをやってどうだったか

冒頭にも書きましたが、ホームスクーリングを選択してよかったと思っています。そこには、周囲の方たちへの感謝を忘れてはいけません。

学校の遠足や修学旅行がないので、2014年からは、家族であちこちへでかけました。動物園、水族館、科学館、博物館(かなりたくさんいきました)、遺跡、史跡、神社仏閣、名所旧跡、野球観戦、サーカス、サッカー観戦、能と狂言、コンサート、モトクロスレース観戦、キャンプなどなど。私たちは山の上の集落に住んでいますが、都会から団体が活動しに来ることに参加しています。頻度は年に数回~10回以上です。森歩きなども慣れっこです。

社会性はどうなんだと尋ねられますが、学校へ行っている子より、多種多様な経験をし、多種多様な人たちと活動をともにしています。ただ、独特な学校行事は経験がなく、合唱、団体競技なども経験できません。

ホームスクーリングを始める前には、周囲の無理解や非難を覚悟していましたが、ほぼ皆無でした。むしろ、「いいことをやっている」という応援の声が多かったです。時代が変わってきたのだなと感じます。30年前なら、そうはいかなかったでしょう。独学のスキルを磨くことは、間違っていないようです。学校へ行っていれば、独学は無理なのか? そうではないでしょう。受身に過ごすのか、主体的に勉強や活動に取り組むのか。独学は、「主体的に学ぶ」というのが本質です。学校へ行くかどうかという表面的な形が問題なのではありません。

ホームスクーリングをやって気づいたことは、学ぶことに前提条件はいらない、ということです。お金、才能、環境など、そんな条件に縛られることはありません。不登校でも問題ありません。だれでも、どんな環境でも、そこそこ以上の学力を身につけることはあたりまえに可能です。

経済格差が学力格差を生むなどと言われますが、そんなことはありません。どんなことがらでも、誰かにやってもらうなら高額の支出が必要です。自分でやるなら、材料や道具のみが必要です。人にかかる経費より、モノにかかる経費の方が、格段に低額です。高校の教材がたくさん写っていますが、3年分のこの教材の購入額は、塾の1年分の月謝に届きません。そもそも学校へ行っていれば、これらの教材のうち多くは不要です。多量の本を読むことも、図書館や学校の図書室を利用すれば、お金はかかりません。学力に関してあきらめている方がいれば、伝えたいです。あきらめる理由などありません。あなたの人生はいくらでも変えられます。