アフターコロナ 6(生命)

前回、オンライン学習を進めるには、土台作りが必要だと書きました。

土台とは、独学で勉強するために 4(加速学習)で書いたように、基礎・基本以前の、土台のことです。勉強で基礎・基本といえば、計算だったり、漢字だったり、教科書の基本事項だったりというイメージでしょうか。それも大事なことですが、そういう基礎・基本を習得するには、土台が不可欠です。いや、基礎・基本ていどなら、土台なくともこなしていけるでしょう。しかし、土台なければ、基礎・基本が、その次へ発展しにくくなります。その次があったとしても、その次は難しい。基礎・基本と言われる勉強が、発展・応用と言われる勉強へ結びつきにくくなります。「基礎・基本はできるけど応用がダメ」という子は多いです。もっとも、基礎・基本なくして、発展・応用はありえませんが。

土台が堅固であればあるほど、基礎・基本をやれば、スムーズに発展・応用が修得でき、さらに無限に拡げていけます。このへんは、わが家のサラ(三女)の、激変や、教材や、読書が1つのエビデンスになるかと思います。

しかも、土台作りには、お金はほぼ必要ありませんし、どんな環境でもかまいません。親や家庭の経済状況・学歴など不問です。教育格差も経済格差も生じません。競争も生じないので、誰かを蹴落とすこともありません。誰かに負けることもありません。必要なのは、時間です。つまり、継続と忍耐です。忍耐といっても、苦行に耐えるのではありません。短絡的に成果を求めない、すぐに成果が見えなくても動じない、という忍耐です。

土台とは構造理解だと、独学で勉強するために 6(読書2)で書きました。構造とは、機械やシステムのイメージではなく、生命のイメージです。1つの細胞からはじまって、数多くの複雑な器官に分化していく。それらがバラバラではなく、絶妙の調和を保っている。どこかが傷つけば、元に戻そうとする働きが生じる。それが生命です。生物の身体はすべて物質として説明でき、脳の働きもすべて電気信号として説明できると考える科学者も少なくありませんが、そうだとすれば、人間の存在のすべては物質でしかなく、命には物質としての価値を超えた価値はないことになります。そのへんの考察は、ユヴァル・ノア・ハラリさんの『サピエンス全史』『ホモデウス』に詳しいです。

私たちの感覚では、生命は生命であり、物質とは一線を画す何か、でしょう。神秘的で尊いものです。私の生命を奪われてはならないのと同じように、他人の生命をも奪ってはなりません。人間以外の生命も尊いものだと考えるべきでしょうが、人間以外の生命を奪わずに人間が生きていくことは恐らく不可能なので、尽きることのない迷いです。物質であるなら、悩むことはないのですが・・・

生命の不可思議が、学びの土台ではないかと考えています。生命の実現は、身体にほかなりません。シンギュラリティでいうように、身体がまったく必要でなくなるなら、それは「死んでいる」としか言いようのない状態でしょう。身体の状態は人それぞれですが、どんな状態であろうとも、生命の発現にほかなりません。

そこで、学びの土台は、身体を用い、身体を活用していくことだと、私は確信しています。その活用は、次回に。(といってもあちこちで書いていますが)

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