アフターコロナ 7(哲学)

前回、「学びの土台は、身体を用い、身体を活用していくことだ」と書きました。ITの力はすごいです。勉強にも大いに活用できるでしょう。ただし、ITツールだけで学びには十分だ、という主張には賛成できません。人間は、身体を持った生命体です。ITを活用することで身体の能力を超えたことが可能になりますが、身体のすべてをITで置き換えることはできません。

ITが進化するにつれて、身体の能力はもどかしく感じられます。ITの力は、番号であり、番号を用いて情報を結合したり加工したりします。人間は、ITのようなすさまじい演算力をもちません。しかし、人間は意味を考えたり感じたりします。人工知能もディープラーニングによって意味を考えられるじゃないか、という主張があるかもしれませんが、人工知能は、人間が与えたアルゴリズムで動きます。アルゴリズムによるディープラーニングは、「意味」ではありません。意味という言葉はあいまいですね。哲学と言ってもいいでしょう。

人工知能には、哲学はできません。とくに日本では、ここ数年、文系学問のうち、文学、歴史、哲学(社会学や心理学もふくんで)という学問をどんどん軽視してきています。それは当然でしょう。人工知能には扱えない分野ですから。つまり、最も人間が人間であることの基本ですから。これを軽視することがどういう未来につながるか? 世界の歴史上、人文社会系の学問を軽んじた国家は衰退しています

日本もそうなるか?

アフターコロナで、軌道修正があれば、その道をとらず、発展していく未来もありうるでしょう。コロナで衰退するのではありません。人工知能の進化によって、人間が人間であることを見失っていくでしょう。

現在の、コロナingの厳しい状況は、ある意味、チャンスでもあると思います。試験や偏差値に追い立てられない「ゆとり」がたっぷりありますから。今のうち、土台をつくれば、アフターコロナも心配ないでしょう。

オンライン授業の問題は、ツールばかりが話題になります。パソコンやタブレットのようなデバイスと、アプリケーションと、ネットワーク回線。たしかに、ハードウェアやソフトウェアといったツールがなければ、そもそもオンライン学習ができません。逆に言うと、ツールさえあれば、何の問題もなく、教室の授業が再現できるのでしょうか?

生徒の側に、土台が必要であることの議論をあまりみかけません。ITだけでは、学びを高めていけません。人間が人間であることの土台が必要です。先ほど、哲学と言いましたが、高度な思考を創り出すのは、脳を含めた身体です。その土台は、じつに単純な読み書きの蓄積でつくられるものです。堅固な土台があってこそ、高度な思考が可能になり、オンライン学習を難なくこなすこともできるでしょうし、どんなスタイルやどんな環境の独学も可能でしょう。

読み書きは、どんなにITが発展しても、人間としての基本事項です。それは次回に。

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