[本を書いた03]勉強の方法より大事なこと

ご質問を頂きました。本書に書いてあることは「親の学歴無関係」といいながら、そうは思えない、とのことです。とても大事なポイントです。本書にも書いたつもりですが、私の書き方が拙く、うまく伝わらないかもしれません。これは本当に申し訳ないところです。

 

勉強の方法

勉強に関する本はとてもたくさんあります。勉強の内容に関する本と、勉強の仕方(方法)に関する本があります。

  • 勉強の内容…参考書、問題集
  • 勉強の方法…どんな参考書を使ってどのように勉強していけば結果(成績アップ、志望校合格)につながるか

難関大学の合格体験記は「勉強の方法」です。「低い成績から奇跡の合格!」という体験談も「勉強の方法」です。「こうすれば、こうなる」「こうすれば、こうなった」といった内容です。このようなものを参考にする人は多いでしょう。予備校や塾で「勉強の方法」を指導してもらえるならそれでいいでしょうが、「勉強の方法」を自分で見いだしていくことは困難なので、このようなジャンルの本は有用です。私も中高生のころ、参考にしました。

 

勉強を可能にする条件

ところで、「勉強の方法」が参考になるのは、勉強すれば理解できるということが前提です。『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』というベストセラーで明らかにされたことですが、そもそも教科書を読んで内容を理解できない子が非常に多いということです。そういう子は例外なのではなく、標準といっていいほどです。となると、教育格差の問題につながるでしょう。教育格差の上位層で教科書を理解できない子は皆無のはずです。でないと、そもそも勉強できませんから。

教科書を読んで理解するという能力が生まれついたものであって、努力しても乗り越えられないものなのかどうか。もしそうなら、教育格差は絶対に動かせないことになってしまいます。そんなことは認められないでしょう。認めてはいけません。

「教科書を読んで理解する」能力を学校で育成できるかどうか。いやこれ、無理です。そもそもトートロジーです。学校では、教科書に基づいて教科書の内容を理解できるように教えます。「教科書を読んで理解する」ことができなければ「教科書の内容を理解する」ことはありえません。学校では「教科書の内容」を教えるのであって、「教科書を読んで理解する」能力は必然的に前提とされています。児童・生徒の全員が「教科書を読んで理解する」力があることは無条件に当然であるという前提があります。教科書を理解するには、教科書を読めなくてはいけません。学校では「教科書を読んで理解する」ために「教科書を読んで理解する」能力が必要であるというロジックになってしまいます。

つまり、「教科書を読める」ということが、そもそも土台なのです。

 

勉強の土台

先ほど、勉強に関する本は2種類あると書きました。勉強の内容と勉強の方法です。勉強の方法がなくては勉強の内容を習得できません。

じつは、「勉強の方法」以前に、「勉強の土台」があるのです。勉強ができる子たちは、小学校に入る前には勉強の土台ができているでしょうから、「勉強の土台」に関する情報は不要といえるでしょう。

今はやりの幼児教育が勉強の土台づくりかといえば、ものによりけりだと思います。なんにしても、幼児教育はお金がかかりますよね。あ、また教育格差になってしまいます。

本書で主題としているのは、この部分です。土台づくりは、お金をかけてやっていくこと「も」できるでしょうが、お金は必然ではありません。テレビが普及する以前の時代には、幼児教育なんてありません。お金をかけることなく、すさまじい土台を築いていった人たちがいくらでもいます。現在のエリートが及びもつかないレベルです。

本書の帯に「並のエリートでは到達しえない教養と学ぶ姿勢。」と書かれているのはまさにこのことです。これが具体的にうちの子たちを指して言っているとすれば、気恥ずかしいかぎりですが(出版社さんがかいたコピー文です)。

テレビの普及とともに、あらゆるサービスが商業化されていきました。教育もそうです。お金をかけなければうまくいかない。たくさんお金をかけるほどうまくいく。これは信仰ですね。

本書では、商業主義の信仰を打破し、勉強の土台づくりをすべての人に開放したいという野望(!)をもっています。親の学歴、経済力、住んでいる地域なんか、あっちむいてホイ!

土台づくりが堅固であればあるほど、どんな勉強方法でも、高度に勉強の内容を習得していけます。それでうちの子たちがどうなっていったか、本書で明かしています。

(つづきは次のページへ)

 

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