独学で大学受験 41 希望は爆上げ

 

第二子は1浪に入った。とはいっても、高校の勉強を始めて1年半である。実質は、高2の秋に相当する。京大不合格を見た次の日から、新しい挑戦が始まった。1年2カ月ほどで高校の内容を駆け足で習得した。もちろん、完全独学である。その後、共通テストと京大過去問に打ち込んだ。基礎はまだ不充分だ。

前年、つまり現役高3年齢のときは、模試を16回受けて、京大はすべてE判定だった。それも、大きく差のあるE判定だった。11月の冠模試では、歴史に残りそうなほどの低い偏差値だった。各予備校が、東大模試とか京大模試とか、難関国立大学各校に特化した模試を開催しており、それを冠模試という。京大の冠模試なら年に数回ある。

秋には受験生が必死に追い上げるので、模試も激化する。とはいえ、あまりにもあんまりだ。 (>o<)

京大E判定から抜けたのは、共通テスト本番が初めてだった。共通テスト前の1カ月で爆上げしたのだ。二次試験も、合格ラインまで差があったとはいえ、思いのほか善戦した。高校2年生が夏休みに京大の問題を解いてみた、と置き換えて考えると、上々の出来だろう。

再起動後は、とくに、数学と英語、そして古文に特化した。この3つ、夏までにゆるぎない基礎を身につける。

4月に、今年度1回目の模試(記述)を受けた。E判定だった。

5月に、マークと記述を1回ずつ受けた。中旬のマークがD判定、下旬の記述がC判定で、順調な伸びに驚いた。半月で1ランクずつ判定が上がっていることになる。Z会の在宅模試(京大特化)でも、良い成績だった。

7月にマーク模試を2回受けた。成績はまだ返ってきていないが、自己採点の結果は5月より大幅に点数が上がっている。判定も上がりそうだ。

京大はC判定だと危ないが、A判定、B判定になると希望が出てくる。再起動時の期待は、夏にD判定、秋にC判定、追い込みで追いつく、というものだった。前年の成績を考えると、それでも楽観的な望みに思えた。現実は楽観的な見通しを上回りそうだ。京大でC判定なら、東大と京大以外は合格確実に近い。私立は仕組みが違うので比較できない。

春先で京大C判定なら、ほんとうに、あと一押しだ。

もちろん、今後成績が上がり続ける保証はないし、模試の成績がどうであっても本番で不合格の可能性もある。

第二子は、受験宣言したときから、大学でやりたいことが明確だった。そのために京大がベストなのだと言う。

8月に冠模試が2つある(駿台と河合塾)。ここで良い判定をとりたいと、日々がんばっている。

私は40年前、高3の5月に始めて模試を受け、D判定だった。6月、7月はD判定はなく、C判定ばかりだった。夏に冠模試でB判定をとって、秋にはA判定かB判定(C判定はない)、11月にはすべてA判定だった。そして京大文学部に現役で合格した。夏までは浪人生の壁を感じたが、秋には気にならなくなった。第二子は私が高3のときと似た軌跡をたどりつつある。

私が子どもの頃と比べ、第二子には(子どもたち4人とも)、絶大な土台がある。大量の読み聞かせ、大量の読書、大量の書き写しだ。私には4人の子どもたちほどの土台はなかった。

絶大な土台があるが故に、だれからも一切勉強を習うことなく、完全独学で、さらに中学から高校にかけて3年間も勉強のブランクがあっても、高2の9月から高校の勉強を開始しても、そこから2年弱で京大に手が届きそうだ。

ここからは、私を追い越して行ってほしい。受験だけでなく、大学進学後も。三重大学生の第一子も同様だ。

第二子は、マーク模試も記述模試も、同じくらいの偏差値で同じくらいの判定だ。記述模試は、4科目(英語、数学、国語、世界史)間で大きな差がない。バランスのいい成績だ。京大から届いた成績開示を見ても、壊滅的な科目はない。4科目+共通テストが、どれも、少しずつ足りない。苦手科目がないということになる。4科目を順次伸ばせば、全体として爆上げになる。

再起動時、第二子は、成績が足りなくてももう1年、京大を受けると言っていた。2浪を覚悟している。2浪すると、第三子と同じ学年になるかもしれない。本人は、そんなことにかまっていない。人生、何が大事かを考えて、京大受験に臨んでいる。来年も京大に落ちれば、その次はどう考えるかわからないとも言っている。そりゃそうだろう。あまり長年浪人するのが良いかどうか。私はあまり勧めないが。

現状のまま推移していけば、来年は合格の望みを大きく持って京大受験ができるのではないか。

童仙房という田舎の小さな集落にあって、私が京大卒であることはみんなが知っている。4人の子どもたちも、幼い頃から、「あんたも京大行くんか?」と言われることがしばしばあった。そのような目で見られるということは不本意だっただろう。親と同じではない、自分は自分なのだ、と。第二子は、自分の生きる道をはっきり見出した。だから、誰から何を言われようとも動じなくなったようだ。たのもしく思う。

キミは親の附属ではない。キミにはキミの人格があり、人生がある。親といえども侵すべからざるキミだけの世界がある。親などかまうことはない。キミの人生をキミの手で拓いていってほしい。

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