独学で大学受験 30 コロナ

 

2020年1月に日本でもコロナ感染症が確認され、2月末には首相が一斉休校を呼びかけ、前代未聞の大混乱となった。

卒業式がなくなったり、学年最後の方の授業ができなかったり、新学年になってもオンライン授業にふりまわされたり、1学期が短くなったり。親も仕事が減って収入が激減したり、子どもが家にいて仕事ができなくなったり。給食がなくなったことで食材も大混乱。家で食事を作らないといけなくなって大変だったり。自粛自粛自粛で運動不足になったり、心が不調をきたしたり。

世の中は大混乱で大変だった。

でも、わが家はなんともなかった。だって、学校行ってないから休校関係ないし。ふだんから家でご飯食べてるし。私の仕事はそもそも在宅ワークだし。そもそも斜陽産業なのでコロナ前から厳しかったし。田舎だから、人はあまりいなくてウイルスもやってこないし。

緊急事態宣言がでていても、ふだんと変わりない。家にこもる必要はなく、周囲を散策したり散歩したりは自由。だって人がいないもん。

子どもたちももともとホームスクーリングなので、何の影響も無し。

2020年1月というと、第一子が自動車工場で仕事を始めたちょうどその時だ。半年間つとめたが、それはコロナ初期に相当する。自動車減産で途中から仕事が減ったそうだ。

第二子はスランプの真っ最中。留学が無理となって、さらにスランプが悪化した感じ。

第三子、第四子はふだんのままで影響なし。

ホームスクーリングというのは、世の中の動きに影響されないということをあらためて実感した。しかも住んでいるところが田舎なので、環境も安泰だ。ホームスクーリングは異端だろうし、田舎も国土の周縁であるはずだ。でも、コロナ危機にあっては、最も優れた環境であり教育であるということになって、びっくりした。

もしかして、いつか大災害がおきてふつうの暮らしができなくなっても、わが家はダメージが少ないかもしれない。災害でなくても、世の中が大混乱する事態が生じても、わが家はダメージが少ないかも知れない。

田舎に住み、ホームスクーリングをするということは、レジリエンスが高いのかも知れない。

ホームスクーリングは、外部に依存することなく、自分で考え自分で学んでいくことだから、世の中に影響されにくいのは当然だろう。

田舎で暮らすこともそうだ。都市の生活はあちこちに依存し、自分で采配する余地は意外と小さい。田舎は周縁なのでそもそも便利さに依存しづらく、ふだんから自分で采配せざるを得ない。だから、世の中に影響されにくいのは当然だ。

そのコロナのさなかに、コロナに影響をうけにくいはずのわが家で、ホームスクーリングに激変が生じた。たまたまだろうか? いや、たぶん、そうじゃない。2020年春ぐらいから、コロナによって世の中がどう変わるかという議論が活発になった。アフターコロナはどうなるのか、といった感じ。そういう議論は、わが家でもウォッチしているし、子どもたちともよく話し、いろいろ考える。それがトリガーになったのは、たぶん間違いない。

この連載のタイトルは「独学で大学受験」だが、独学で大学受験したのは結果であって、大学受験をめざしてのホームスクーリングではない。大学受験は目標ではない。大学受験などどうでもいいというのではない。もっともっと大きな、大事なことがあるだろう。人生だ。

人生をより良く生きる力をつけるためのホームスクーリングだ。より良く生きるとは、たくさんお金を稼ぐとか、安定した生活を手に入れるとか、高い学歴や高いステータスを手に入れるとか、そんな話ではまったくない。自分の人生を自分で生きる。シンプルにそれだけだ。

逆に言うと、自分の人生なのに自分で生きていない人は多い。多いというより、ほとんどがそうだ。自分の人生を自分で生きるのは、とても難しいことなのだ。

そのための道中で大学へいくことが有意義なら、それもいい。大学へ行かない道が良いなら、それもいい。あくまでも軸足は大学受験ではなく、人生なのだ。

第一子は18歳で高校の勉強を終えた時点で、大学には行かないと言っていた。それで、社会へ出るきっかけとして、自動車工場の期間工へ行ったのだった。

第二子も、中学から高校にかけてまともに勉強をしていない。高2年齢になっても、高校の勉強は未着手だった。

コロナ時代になって、その第一子と第二子が大学受験を宣言した。やるなら、しっかりがんばれ。想定外の受験生家庭となってしまった。ここから先は、受験の話になる。完全独学が大学受験に通用するものなのかどうか、道なき道を行くことになる。

完全独学で国立大学に合格した人が、過去にいるかどうか、知らない。完全独学を貫いた人じたいがきわめて少ないはずなので、国立大学へ行った人はいないかも知れない。ならば、未来につづく人たちへ、希望を拓けるかもしれない。この挑戦は、本人だけのものには終わらないかも知れない。

完全独学で小中高の教科学習を高度にマスターできたと証明できるなら、だれでも、どんな方法でも可能だということになるはずだからだ。私が主張するのは土台づくりであって、ホームスクーリングや独学という方法の問題ではない。その土台づくりは昔話の読み聞かせ、読書、書き写しだ。最新のメソッドではない。昔ながらの伝統的な、今ではすっかり忘れ去られてしまった学びだ。

さて、子どもたちは、どういう展開を見せ、どういう結果をだすだろうか。

 

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