独学で大学受験 24 三年寝たろう

 

第一子が大学受験を決意するまでを書いた。

第二子は、第一子より2年半あけて生まれた。学年は3つ下になる。第一子に大量の読み聞かせをしているさなかに生まれたので、第二子も生まれた時から読み聞かせを浴び続けた。読み聞かせをしたというより、生まれた時から読み聞かせが日常だった。第一子と第二子がそろって読み聞かせを聞き続けた。

第一子がだんだん自分で本を読めるようになっていくと、第一子が第二子に読んで聞かせたりもした。だから、第二子は言葉が早めで、本を自分で読み始めるのも早かった。早いのがいいというわけではない。生まれたときから読み聞かせを浴び続けると、自然に早くなる。急がせたのではなく、それが自然なペースとなったのだ。

第二子は保育園に行っていない。だから、幼い頃よりずっと創造的だった。いろんなものをよく作った。なにしろ、材料と道具はなんぼでもある。なんぼ無駄遣いをしてもオッケーなのだ。4~5歳ぐらいにはお菓子作りもやりだした。

3歳から生協の活動が始まり、最初から参加していた。スタッフの子に同じくらいの年の子が数人いて、いつもいっしょに遊んでいた。京大の活動では、大人たち、大学院生たちにかわいがってもらっていた。

生協と京大以外にもいろんな活動が広がっていった。2008年からは、積水化学工業がCSRの一環として童仙房へ森林保全活動に来ている。その活動を童仙房につないだのも私だ。年に3~4回ぐらい、数十人ずつ童仙房に来た。社員の子どもも来た。ずいぶん多様な、幅広い地域、年代、属性の人たちと交流した。これは、わが家の4人の子全部がそうだ。ありがたい環境だった。学校に行っている子たちよりはるかに多様な交流ができただろう。これがなければホームスクーリングは困難だったかもしれない。

第二子は第一子と異なり、勉強が大好きだった。小学生になる前から漢字や計算をやりたがった。無理強いはしないが、やりたがれば、やりたいだけやらせる。小学生になるころには、九九を覚えたり漢字もある程度覚えたりしていた。書き写しは小学生になるより前から始めた。本人がやりたがった。勉強について、何の苦労も心配もない。たくさんの本を読み、毎日書き写しを継続した。土台もしっかりできてきている。

小中学生では、進研ゼミもやった。4人の子みな同じだ。それ以外は塾も習い事もない。進研ゼミは独学教材だ。

小学1・2年生では『自由自在』の算数(しかない)。分厚い本だが、順調にやっていった。楽しいらしい。小学3~6年生も『自由自在』4科目を順調にやっていった。小学生の勉強はたっぷりおつりが来るほど習得した。

基礎英語は小学3年生から始めた。かなり早いかと思うが、暗唱、書き取りを真面目に継続した。

中学生になって、『総合的研究』5科目を順調にやっていった。まったく何の心配も問題もない、はずだった。が、中1の終わりごろから、どうしたわけか、勉強をほとんどしなくなった。書き写しだけは継続していたが、教科学習をほぼやらない。スランプかな、と思い、そっと見守った。学校に行っていれば、スランプ時にそっと見守ることはなかなかできないだろう。1カ月あまりの間隔で、次々と定期テストがやってくる。それが内申になるのだから、テストを捨てるわけにはいかない。見守ることができるのは、ホームスクーリングだからこそ、なのかもしれない。このへんは、学校教育がもうちょっと柔軟な、レジリエンスを備えた仕組みになった方がいいと思う。

スランプは長引いた。中3になってもスランプだ。このままでは、中学の勉強が欠落したままで大人になってしまう。第一子は小学生の間、勉強をほとんどしなかったが、中学生になって小学生の勉強も取り返しながら巻き返した。第二子は逆に、小学生の勉強はしっかりやったし、ちゃんと身についている。中学の勉強がからっぽだ。

これはマズイかもしれない。中3の頃、学校へ行きなさいと言った。中学の先生に連絡しておくから、夏休み明けには登校しなさいと言った。第二子は強く抵抗した。「無理に行かせたって不登校になるだけだよ」と脅した。

中学の内容をある程度はやっておかないと、大人になったときに困る、ということは本人も理解した。中3の2カ月ほどで、中学の内容を突貫工事で習得した。とはいっても、スランプのさなかだ。あまり根を詰めた勉強ではなかった。中学の終わりごろ、公立高校の入試問題をやってみた。第一子と同じような成績だった。進学校は無理。平均よりいくらか上というところだった。これ以上を求めるのは困難だった。とりあえず、大人にはなれるか。

中3の春頃、海外留学したいと言い出した。本人が言い出したことだから、支援する。ちょっと遊びに行く、というものではないので、まずは情報収集だ。留学説明会をいろんな会社が大阪で随時開催していた。一人で説明会に行かせた。海外留学を本気でしたいなら、親がついていってはだめだ。一人でどこへでも行動できないなら叶うはずがない。

第二子は自分で探してたくさん参加した。いろんな話を聞き、交流もした。留学生をまじえたキャンプ(合宿)にも参加した。中3の時、一人で企画し、京都市の外国人が利用する民泊へ泊まり、外国人が訪れるところを次々訪問して交流を試みた。親はお金は渡したが関与していない。世界中の人たちと文通(手紙)も始めた。

留学へは熱意があったが、教科学習については高校年齢でもスランプが続いた。高1年齢の1月からコロナ時代となり、あらゆることが制限された。だから、留学は棚上げだ。

すると、かどうかはしらないが、第二子はさらにスランプ度が強くなった。親として、とても心配した。

高2年齢の夏頃、とつぜん、大学へ行きたいと言い出した。あんなに勉強をしない日々が続いていたのに、なんということだ! 本気なのだろうか?

第二子は、東大、京大から国立大学、私立大学、専門学校までじつに多くの学校案内を取り寄せて、じっくり比較検討した。そして、ある難関国立大学を志望すると宣言した。

「そんならどうして勉強のブランクを3年間もつくったんだ?」と聞くと、「あの時期は哲学していたんだ。3年間の哲学がなかったら、大学へ行こうとは思わなかった」ってさ。まるで三年寝たろうやないか。

ちなみに、第二子は、中3で英検準2級、高1年齢で英検2級に合格した(ほぼ基礎英語のみ)。高2年齢で高卒認定に合格した。高3年齢で(受験生であるにもかかわらず)合宿免許で普通自動車運転免許を取得した。

三年寝たろうよ、起きたか。よし。

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