独学で大学受験 27 まだ遅くないぞ!
第四子が小学生になるころには、家計の火の車がおちつき、なんとかふつうに暮らしていけるようになっていた。第四子も上の子たちと同様、ホームスクーリングだ。
第一子は中学生となり、マジメに勉強するようになっていた。第二子はまだ小学生でスランプ前、勉強大好きと言っていたころだ。第三子は常に勉強大好きだ。その中で小学生になったものだから、第四子も勉強をはりきる。書き写しも毎日ちゃんとやっていた。
小1になったばかりのころ、進研ゼミの教材をやろうとして、泣き出した。わけを聞いてみると、問題がわからないとのこと。字を読んで意味を理解できないのだ。「無理しなくても、わかるようになってからやったらいいよ」って私は言うのだが、第四子は泣きやまない。「いま、やりたい」って言う。
なんども書いているけど、早期教育には賛成ではない。それぞれの子の成長のペースがある。わからないことでも、時が来れば自然とわかるようになる。できないことでも自然とできるようになる。成長のペースに合わせて進めていくのが最も早く、最も効果的だと考えている。
第四子も急ぐことはない。でも、上の3人が楽しそうに勉強するもんだから、自分もそうしたい、という気持ちがあるようだ。悪いことではない。
第一子から第三子までは、小1で進研ゼミの教材も『自由自在』も読んで理解していたし、いきなり独学が可能だった。何も無理せず、自然と独学をやっていけた。誰からも教えられなくても、自分で勉強できた。親もそれを当たり前のことのように見ていた。
では、どうして第四子はそれができないのだろう?
夫婦で原因を考えた。
まもなく、気づいた。
第四子が生まれてから5年間、家計の危機だった。読み聞かせどころではなかった。第三子はハイクオリティの読み聞かせだったので、自分で読めるようになったのも早い。第四子が生まれて読み聞かせが思うようにできなくなる頃には、自分で本を読めるようになっていた。
第四子は読み聞かせが圧倒的に足りなかった。ゼロではない。いくらかは読み聞かせしたが、第三子までと比べると、十分の一もなかった。第三子は自分で読めたので、読み聞かせ不足がかえって自分で読むことを促したのかもしれない。
これはたいへんだ。親の重大な責任だ。なんてことだ! この子の人生は上の3人とまったく別ものになってしまう。上の3人ができることをできず、到達できるところにはるか及ばないかも。
遅いかも知れない。
でも、あきらめて親の責任を放棄するのは違う。とにかく、やろう。
夫婦でかわるがわる、読み聞かせを始めた。第四子への読み聞かせは小1になってから本格的に始めたのだ。もちろん、もちろん、昔話に特化した。昔話だけを読み続けた。絵本もいくらか読んだが、中心は字が主体の本だ。たくさん買ったし、図書館でもたくさん借りた。
毎日毎日、時間をとれる最大限、読み聞かせた。勉強はしなくてもいい。読んで読んで読みまくった。
半年ほどたつと、変化が現れた。進研ゼミの教材をいつのまにやら、難なくこなしている。あの分厚い『自由自在』1・2年生版(算数しかない)も、独学でやっている。意味を理解できるようになってきたのだ。
1年ほどたつと、自分で本を読み出した。読み聞かせしている昔話を自分でも読むようになった。小2になったあたりだ。
小2になると、図書館でみかけた『ルルロロ』や『まじょ子』シリーズを読みたがった。ヤフオクでまとめて大量に買った。あっという間に読んでしまった。小3あたりで、読み聞かせは卒業にした。
読み聞かせ大量2年間で、激変した。小3からは、『自由自在』が3・4年生版となり、4教科そろい、内容も難しく、ボリュームも大きくなったが、何の苦もなく日々こなしている。書き写しも毎日順調にやっている。そろそろ1000枚ほど書いたのではないだろうか。小学生(4年生)で1000枚も書く子はめったにいないだろう。
勉強がわからないということはなくなった。上の3人も、独学をしていてわからないということはなかったらしい。あったとしても、自力で解決できたらしい。第四子もそうなってきた。
小5になると、読む本が変わってきた。分厚い本を次々と読み出した。アガサ・クリスティを大人向けの文庫で大量に読んだ。他にも、小学生が読めないだろうと思われる本を次々と読んだ。小6では『ハリー・ポッター』全巻セット、分厚い本が10冊ぐらいある。あれが大好きで覚えるほどくりかえして読んだ。他にも物語を中心に、驚くほど読んだ。第三子の読書量は驚異的だが、第四子も第三子に迫りつつある。いつのまに・・・
中1になると、『ハリー・ポッター』のような易しい物語はたよりないと言い出して、純文学を読むようになった。夏目漱石、太宰治あたりは、旧字・旧仮名の方が好きだと、わざわざ読みにくい古い本を読んだ。ディケンズ(『クリスマスキャロル』だけではない)、シェイクスピアなんかも。『千夜一夜物語』は全巻読み通したようだ。
読書が質量ともにレベルアップしてくると、学力が比例して向上する。
中学生では、とても分厚い『総合的研究』を中心にやったが、中3の春先で全部終わってしまった。問題集もやっている。『総合的研究』は各科目とも、高校の内容に踏み込んでいる。そういうものも難なくこなし、適宜復習するので、学習内容は身についているようだ。
中3で英検準2級に合格した。
中2から模試を受けている。京大現役合格の私の中学生のときの成績とほぼ同等だ。中3の春先から、公立高校の入試問題を順にやっていった。安定して高得点がとれている。もう、中学の勉強はやることがなくなったので、7月下旬から、高校の勉強に移行した。『総合的研究』をとことんやったので、高校の勉強はスムーズに取り組める。
書き写しは、ずっと継続している。物語を自分でも書くようになった。書き写し、創作合わせて、中3春までに5000枚ちかく書いたのではないだろうか。
小1から読み聞かせを始めても、手遅れではなかった。第四子を見ていると、大人で学力(読解力、思考力)を向上させるには、昔話の読み聞かせまたは読書がよいのではないだろうか、と思える。大人に、読み聞かせるのだ。または自分で読む。ただこれは、試したことがない。昔話を読む&書き写しは最強だ。うっかり、幼児対象にばかり考えてきたが、年齢不問なのかもしれない。
そういえば、キリストさんもお釈迦さんも、昔話のような物語で教えを説いた。仏教では今も「写経」という修行法がある。これは書き写しだ。
自己啓発とか、学力向上メソッドは非常にたくさんあるが、「昔話を読む&書き写し」は聞いたことない。もったいないから、黙っとこ。