日本と世界3(日本語)

前回、「グローバルな時代だからこそ、私たちの言葉、文化を今まで以上に大切にし、修得することに全力を傾けるべきです」と書きました。学校教育では、理数系偏重の傾向が強まり、国語がだんだん重視されなくなりつつあります。古典に対する扱いなど悲惨と言ってもいいです。

日本語は、おおむね日本人しか使わない島国言語ですが、日本人の数が多いため、言語別で日本語を母語とする人数ではベスト10に入ります。けっしてマイナーな言語ではありません。しかし、日本語はあまりに特殊であまりに習得困難で、そのわりに日本以外ではほぼ通じないという、利点少なく不利が多い特性だと思われているため、日本人からでさえ、公用語としての日本語廃止論または漢字廃止論が出るくらいです。

言葉が難しいのみならず、文字も難しい。常用漢字が2,136字、うち、小学校で1,026字を覚えます。たいへんな数ですね。それでも、日常生活、常用漢字だけで十分かというと、こころもとない。3,000とか4,000とか身についていれば、まあ十分でしょう。中国の代表的辞書である『康熙字典』には47,035字載っています。漢字の語源研究の第一人者である白川静さんがいうには、中国人がじっさいに使う漢字は8,000ほどで、中国のどんな偉大な作家や詩人でも1人で使う漢字は4,000程度だそうです。日本語でも同様ではないかと思います。3,000字書けて5,000字読めたらまあ大丈夫かな。ここらを目安としても、こんなにたくさんの漢字を習得することは並大抵でありません。

世界の文字には表意文字と表音文字がありますが、漢字は意も音ももつため、表語文字といわれます。白川静さんは甲骨文字や金文から漢字の成り立ちを研究しました。甲骨文字というと、殷(いん)のころです。紀元前1000年ごろ殷が滅んだので、それより前です。そのへんに漢字の起源があり、形はずいぶん変わりましたが、現代の漢字につながっています。ところが、中国周辺諸国は漢字を導入したものの、現在では、中国と日本を除くすべての国で公には漢字が廃止されています。漢字がなくなったことで、表現の幅が狭くなったり、高度な概念や複雑な概念、新しい概念をこなしにくくなっているそうです。

『白川静さんに学ぶこれが日本語』(小山鉄郎/論創社)にこう書かれています。

日本人は漢字と出合って、自分たちの言葉を深化させることを学び、それによって「おもふ(おもう)」という言葉をいろいろな意味で概念化させることができたのですが、その一方で、たくさんの意味を包含する日本語として、「おもふ(おもう)」という言葉が、ずっと生き続けてきたということだと思います。

漢字は、中国語を表すための中国文字ですが、日本人は、日本語を表すために中国文字をアレンジしながら導入しました。中国人が漢字を使うより、さらに込み入った使い方をしています。中国読み(音読み)と日本語読み(訓読み)の使い分け、カタカナとひらがなを発明し、漢字と混在させたり、漢字化できない外来語や固有名詞を表記するなど、フレキシブルな表記が可能です。漢字を組み合わせて新しい概念を表記したりもします。

日本語の表記は、たいへん柔軟で、たいへん可読性が高く、自由自在に高度な概念を創造したり取り入れたり組み替えたりできる言語だと言ってもいいでしょう。そのような言語を義務教育としてすべての国民が習得できるプログラムをもつ国であると、感謝したいと思います。そのような言語を多大な苦労をはらって習得しても、余りあるリターン(経済性をいうのではありません)があるでしょう。ところで、そのような日本語は、いったいどこから来たのでしょう? それは次回に。

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