[本を書いた23]学校の勉強と学問は違う

大学受験はしんどいね

2023年11月17日

完全独学の完全ホームスクーリングでやってきた4人の子どもたち、大学進学を希望し大学受験に取り組んでいます。来年は第二子、第三子が同時に受験。2人とも難関と言われる国立大学志望です。

模試の成績は悪くない、というよりかなりいい。そうなるとプレッシャーが大きくなる。合格可能性が高まるにつれしんどくなるというのは深刻なパラドクス。親は何も期待していない。本人の合格したいという気持ちがプレッシャーになる。不合格であろうと、どこの大学へ行こうと良いではないか。

最悪なのは心身を壊すこと。そうなっては志望校に合格したとしても意味がない。日々、親の仕事は応援ではなくプレッシャーの緩和。まあボチボチいったらええやんけ。子どもたちが志望校を思うのは学歴でなく学問を願っています。応援してやりたいけど応援も期待もしない。親の立ち位置も難しい・・・

受験と学力は別もの

2023年11月19日

グローバルな世の中になると個人の生き様やアイデンティティが重要になって学歴の価値は低下するかと思っていたけど、新自由主義はますます学歴の重みを増大させているようにも見えます。

だから受験が加熱し過激化しています。なのに子どもたちの学力が低下しているとも。受験と学力は別ものだと考えれば不思議ではない。だとすれば学歴と学力も同じではない。それは皆さん、日常的に感じているのでは?
学歴を求めることは新自由主義へ身を捧げることになりかねない。危険。

私が大学生当時、中曽根内閣が新自由主義へ舵を切った。バブルの真っ最中。何かよからぬものを感じた私は田舎へ移住し学歴無縁の生き方をしてきた。田舎も無事ではいられないけど。
わが子へ。学歴よりももっと大事なことがあるのだ! 一方で学問は大事だ。伏して臨むべし。学校の勉強と学問は違う。

学校の勉強と学問

2023年11月20日

学校の勉強と学問の違い。学校の勉強には正解があり、学問には正解がない。既にわかっていることを学ぶのが学校の勉強で、まだわかっていないことを学ぶのが学問。学校の勉強は大事だが権威追従になりがち。

まずは学校の勉強をしなければ学問をしようがない。だからうちの子たちも完全独学の完全ホームスクーリングにおいて、学校の勉強を援用してきました。ただし、学校の勉強のみではない。幼いころから学問の視点も同時進行。難しいことではない。たくさん本を読めばいい。いろんな視点や事実にふれる。

「オススメの本」とか「推薦図書」とかは学校の勉強色が強いので、そうではない雑多なものも。トンデモ本ですら良い。親が読む本を規制したり誘導したりしない。自然にうまくいく。ただし、その前提として昔話の読み聞かせが大量に蓄積されていないとね。大志を抱け!よりまず、疑問を抱け!

学問とは「疑うこと」

2023年11月21日

『京大変人講座』という本に書かれています。ある教授の退職間際の最終レポートの課題が「クジラが魚類である理由を述べよ」
そして提出日は教授が退職して受け取ることができない日。
肝に銘ずべき話だ。

常識を疑え、常識を疑い続けよという教えを置き土産にしたと解されています。学校のテストでクジラが魚類だと解答したら絶対に不正解。日常会話でもクジラが魚だと言ったらバカにされるでしょう。バカにする人、学校の先生に問いたい。なぜクジラは魚類でないの?なぜ哺乳類?権威が言うから?

京大では「あなたは変人だね」は褒め言葉。「あなたは常識人だね」は侮辱。たぶん今も変わっていないはず。安直なレッテル貼りが横行していますが、それは思考停止で危険。常識外のことを闇雲に信じすぎるのは論外だけど、常識や権威を信じすぎるのも同じくらい危険。これもわが家の学びの姿勢。

 

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