独学で大学受験 17 ホームスクーリング始まる

 

ホームスクーリングを決断してはみたものの、どんなものなのか、どうやっていくのか、なかなかピンとこない。霧の中を見通すようなものである。私自身が、ホームスクーリングを経験したことがないし、不登校ですら経験したことがない。

ただ、独学という視点でいうなら、私の話でいうなら、社会人になってからは、すべてが独学だ。小中高の自宅学習は独学だ。塾も予備校も行ったことがない(夏季講習ならある)。京都大学に現役合格したが、受験勉強の過程は独学だ。

そもそも独学という概念自体が生涯学習的ではないか。

第一子にホームスクーリングを選択したのは、自分の人生を自分で生きていってほしいから、という一言に尽きる。ホームスクーリング思想やホームスクーリング哲学は、ない。この目標を追求できないなら、ホームスクーリングに意味はない。

学校では、勉強を習い、同級生で様々な活動(運動会とか遠足とかいろんな行事など)をする。学力と社会性という言い方がよくなされる。ホームスクーリングでは勉強を広く考えたい。目的のない学びだ。どんなことでも、勉強になり得る。これは、わが家では子どもたちに徹底した。どう見ても遊んでいることでも、子どもたちが「勉強している」と強弁することもある。テレビを見ていても、ゲームをしていても、「勉強している」と強弁したこともある。やむを得ない。それも勉強だ、と認めよう。

その上で、学校教育でいう教科学習もホームスクーリングでやっていこう。ホームスクーリングやオルタナティブ教育を実践している方たちは、教科学習に意義を認めない考えの方が少なくない。考え方としては理解できるが、教科学習はあらゆる思考の土台になる。わが家では、重視したい。学校に行ったと仮定して、それ以上に教科学習ができるようにならなければ、ホームスクーリングは失敗だと考える。同じように、学校に行ったと仮定して、それ以上に社会性が育たなければ、ホームスクーリングは失敗だと考える。わざわざ学校に行かずホームスクーリングを選択した意義が見出せない。この点は、他のホームスクーラーとは大きく異なるかも知れない。

ざっと、こんな感じで夫婦で対話を重ねた。

2006年秋、村の教育委員会から、就学前検診の案内が来た。黙ってスルーした。教育委員会の次長が家に来た。ホームスクーリングをやっていきたいと伝えると、驚愕し、動揺していた。「私の一存では対応できない」と。

その後、教育委員会からは何の連絡も通知もなかった。小学校就学の説明会とか、体操服等の購入とかも、黙ってスルーした。それでも、何もなかった。

ホームスクーリングを実践しているご家庭は、国内ではきわめて少ないが、わずかに存在する。その方たちの報告を見ると、ほぼ全員(かどうかは自信ない)が、逆風にさらされている。教育委員会から、学校から、地域から、親戚から強いバッシングがあり、夫婦で意見が対立し夫婦仲がこじれるケースも。

私も、とうぜん、覚悟した。理論武装すべく、法律、教育、学習指導要領、他方面から研究し、レポートにまとめた。それは、教育委員会には渡したが、それ以外にはほとんど使うことがなかった。

4月初頭、村の統合小学校(唯一の小学校)の教頭先生が家に来た。初めてのケースなので、小学校としての対応を定めたいと。逆風はみじんもなかった。小学校は義務教育なので、在籍し、就学している形態をとらせてほしいと、教頭先生から。そこを拒否する理由などまったくなく、むしろ、第一子のポジションを確保して頂けるのはありがたい。不登校のような扱いになるのかもしれない。入学式では名前を呼ぶかどうか。名簿に名前を載せるかどうか。教室に机を用意するかどうか。教頭先生はこのような質問をしてくださったが、これらはすべてノーでお願いしたい。実際に通う意図がないのに名前や机があると、他の生徒たちが不審に思うだろうし、第一子からしても現実との不整合が生じる。書類上はどのような扱いでも良いが、表面上(見える部分)では、第一子がいないことにしてほしい。このように申し上げると、教頭先生は、「可能な限り希望に添いたい」と。

申し訳なく思うほど、教頭先生は緊張しておられ、控え目な対応をされた。私は威圧したりけんか腰になったりしていない。できるだけ穏やかに、丁重にお話しさせていただいたつもりだ。教頭先生との打ち合わせは、この上もなく最高のものとなった。

4月から、本格的にホームスクーリングが始まった。そのことは、あらためて書こう。

その前に、逆風について書いておこう。現在にいたるまで、逆風は皆無だった。私の知らないところでいろいろな意見はあったかも知れないが、それはあったとしても私は知らないし、知らない以上、関係ないことである。

教育委員会、小学校、中学校とは、きわめて良好な関係を築けた。義務教育なので、毎年春に教科書を届けてくださる。そのさい、子どもの様子を確認したり、対話をする。「学校へ来ようと思えば、いつからでも学校へ来てください」と、いつも言ってくださる。とてもありがたいことだ。わが家はホームスクーリングありきではないので、軌道修正はあるかもしれない。その余地が残されているのは、感謝に堪えない。小学校、中学校からは、卒業証書もいただいた。どのように学習し教科学習を履修したかという報告もさせていただいた。小学生のうちは、日常の勉強の教材、日常読んでいる本を見ていただくだけで先生方は言葉を失っていた。中学生も同じだが、さらに模試の結果を報告した。とくに第三子は圧倒的な成績で、第四子もそれに続くぐらいの成績だ。先生方は驚愕されていた。これらをもってして、登校督促はありえないだろう。「この学力を学校でつけてくださいますか?」という質問が出ることを怖れているように見えた。登校督促はいちどもなかった。私は小中学校、教育委員会に常に感謝し、控え目に友好的な態度で真摯に接してきたつもりだ。

児童相談所の職員さんが来たことがある。子どもの様子を確認し、子どもたちとも対話し、帰っていった。来たのは一度だけだった。虐待がないことを確認されたのだろう。

地域もあたたかかった。わが家がホームスクーリングであることは、みんな知っている。バッシングのようなものは全くなかった。

親戚もバッシングなし。私の父親は小学校の教師を定年まで勤め、最後は校長にもなったが、ホームスクーリングを理解し、支援してくれた。

京大との活動において、京都大学の先生方(教授、准教授、講師、助教)がびっくりするほどおおぜい童仙房に来てくれた。他大学の先生方もおおぜい来た。だれひとり、ホームスクーリングに異論をとなえなかった。むしろ、賛成と表明された方々がいた。このことは想定外だった。

さらに、たまたま出会った一般の方々でも、ホームスクーリングを理解し共感する方が珍しくなかったのには、ほんとうに驚いた。逆風は皆無だった。

あらためて思う。ホームスクーリングは在宅学習なのだが、わが家だけではやっていけない。非常に多くの方々が理解し支援してくださったおかげだ。現在のわが家があり、4人の子どもたちがあるのは、みなさま方のおかげだ。いくら感謝しても感謝しきれない。ありがとう。

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