[本を書いた22]学力よりも尊厳

尊厳って何?

2023年11月10日

尊厳という言葉がよく使われるようになりましたが、人権は定義が容易であるのに対して尊厳は難しい。人は皆、尊厳を持っているのかどうか。そもそも尊厳って何?尊厳って、あったりなかったりするもの?

敬意をもって扱われるべき存在であり、代替不能なかけがえのない存在が尊厳であると、おおむねカント的な理解が支持されるようですが、そうなると尊厳が毀損されていると見られる場面は日常茶飯事です。生まれながらに尊厳があるのなら子どもにもあるはず。子どもを管理することは尊厳の毀損では?

理想的な社会がどのようなものかを考えるのは難しい。1つ、提案。すべての人の尊厳が信じられる社会、ではダメでしょうか?現実には無理かな?ここ20年ぐらい、多様性とか共生とか尊厳とかが日常的に使われるようになってきました。世の中がだんだん良い方へ向かっていると、信じたい。

古き良き時代

2023年11月12日

大学受験生である第三子がこう言ってきました。「奈良時代や平安時代には減税の話がたくさんあるの、知ってる?」
何に載ってる?って聞くと、「日本書紀とか続日本紀とか」
改めて見ると、確かに・・・

減税、免税のほか、大赦、刑期中の放免もことあるごとに発せられています。仁徳天皇が民の困窮を案じて3年間の徴税停止を命じたというエピソードは有名ですが、まあお話だろうと思っていました。そのエピソードが作られたのは奈良時代。お話の真偽は別としてそういう価値観はさもありなん。

徳の高い政治をすれば国が栄え政権も安定するという考えがあったようです。平安時代末の『平家物語』にもその思想が貫かれています。江戸末まで、日本では民をないがしろにして贅の限りを尽くす為政者はあまり見あたらない。質素倹約がお上においてもおおむね美徳でした。ま、今とは違う昔の話だわさ。

昔話に描かれる為政者の姿

2023年11月13日

わが家では独学の土台を築くために昔話の読み聞かせを大量にしてきました。昔話は世界中にありますが、気になることも。為政者の思想です。昔話は民の間で語られてきたので民から見た為政者の姿と言えます。

ヨーロッパの王はこれ以上ないというきらびやかな宮殿に住み、これ以上ないという豪勢な暮らしをしています。強い王が尊敬の対象。民のことを案じる王もいるけど。インド、中国、朝鮮、日本、その他アジアでは民を案じ徳の高い為政者がよりいっそう尊敬の対象。100%ではないけどその傾向があると思う。

日本では殿様の強さ、贅沢ぶりが描かれることはあまりありません。むしろ贅沢や傲慢は衰退の原因と描かれることが多いようです。中国では徳を失った皇帝が易姓革命で倒される。日本では武士は政権交代するけど天皇は皇族外に交替しない。天皇は昔から華美を慎み、民を案じる存在として理解されがち。

民の支持

2023年11月14日

日本の昔話で殿様や長者は頻出ですが天皇は出てきません。確証はないけどゼロかも。伝説には「天皇が休んだ場所」というようなものがあります。民から見て天皇の存在は薄かった。天皇は何もしないから?

戦争が終わって19年という年に生まれた私が子どもだったころの大人は大部分が戦争経験世代でした。私たち世代の親はほぼ全員が戦争経験者。米ソ冷戦、核開発競争、ベトナム、朝鮮、中東などリアルタイムの戦乱も。天皇の戦争責任を問う声、天皇制廃止論も嵐のようだった。小3まで沖縄は米国だったし。

そのころがわが国の歴史において天皇制最大の危機だったかも。民の支持を大きく失った時期。今の子どもたちにはピンとこないでしょう。私がリアルタイムで経験したことが今は歴史の教科書にある。当時の書籍を読めば当時の空気を体感できます。ホームスクーリングなのでそういうことも学びのうち。

欧米化もいいけれど・・・

2023年11月15日

わが国で為政者の徳が重んじられなくなってきたのは特に戦後、欧米化が進んだことが原因かな。政治が資本主義化するとお金で政治が語られる。徳が入り込む余地はますます少なくなっていく。

保守を自称する政治家たちは保守とは思えません。欧米化を保守と言うらしい。それはわが国の伝統や文化とは無関係。むしろ伝統や文化を破棄しつつあります。それを保守というのはなんとも・・・
欧米から学ぶのは大切だと思うけど、すべてを捨てて欧米化、は良くない。それこそ自虐では?

わが国の先人たちは、過去に中国から、あるいは他国から学ぶにしても、自分を失わなかった。遣唐使の時代でも、すべてを捨てて中国化などしなかった。相手から学ぶには謙虚な姿勢が不可欠。上から目線で、あるいは対等な立場で学ぶことはできない。それは卑屈ではない。矜恃がある。自尊心がある。

学びには謙虚さが必要

2023年11月16日

学ぶには謙虚な姿勢が必要です。とくに独学は純粋な学びそのものであり、学びの原点なので、師に対する謙虚さがなければ成り立ちません。師とは、学びたいことがらすべて。狭義の先生には限りません。

いったん我を捨てます。つまり、先入観や偏見や思い込みを横へ置きます。そして虚心坦懐に師から学ぶ。師とは人であることもあり、書物であることもあり、自然や社会に対する観察でもあります。「我」を捨てても「私」は失わない。学んだことは私のものになっていく。だから「私」は不動でなければ。

本当の学びには効率もいらないし競争もいらないし強制もいらないし成績もいらない。完全ホームスクーリングの完全独学で学んできた4人の子どもたちにとって、これが日常の学びのスタイルです。大学受験はオプションです。まあ、そうはいっても大変だけど。4年連続大学受験。あー、しんど。

 

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