アフターコロナ 3(身体)

前回、「自ら学び、自ら責任を持って人生を生きる」ことが、アフターコロナでは大事になりそうだと書きました。しかし、それは難しいことです。

コロナ危機は、人の集中を嫌悪します。わが国は、東京一極集中がますます進んでいるので、それが弱点となっています。とうぜん、田舎に住んでいれば、危機はややマシになります。コロナ前には、人は不便を嫌い、便利と快適を求めて都市へ集中します。仕事も教育も都市へ集中するので、ますます都市の魅力が大きくなります。が、少なくとも、コロナ危機は、それを否定します。

人は、孤立しては生きられません。大ベストセラーの『サイピエンス全史』では、人類は虚構を共有することで力を寄せ合い、大きな力を持つようになった、と論じています。虚構とは、宗教、言語、国家、貨幣、会社などをいいます。コロナは、人類を分断しているように見ます。であるなら、人類の文明は崩壊へ向かうのでしょうか? いや、そうではないでしょうし、そうあってはいけません。

虚構の共有のしかたに修正を求めている、と解してはいかがでしょうか。

コロナ前にも、人工知能をはじめとするデジタル世界はものすごい勢いで進化してきています。これまで不可能だったことが、どんどん可能になっていきます。それはそれで、素晴らしいことですが、一抹の違和感もなきにしもあらず、です。

ITの力の根源は、何でしょうか? 私は、データベースに尽きるとみています。種々のデータを結合し、自由自在に加工し、膨大な情報を整理したり、新たな情報を作りだしていく。データベースなど知らないという人でも、日常的に利用しているはずです。通販、SNS、web検索など、データベースなしに成り立ちません。リアル店舗も、行政も、多くの会社の業務でも使っています。あまりにも日常的でありふれていて、現代社会はデータベースなしには成り立ちません。

データベースの肝は、番号を付けること、です。マイナンバーもそうですね。全国民に番号(ID)を付けることで、全国民がデータベース化されます。この意味は甚大です。マイナンバーに賛成か反対か、の議論ではありません。高度なIT社会において、全国民のデータベース化は避けられないとも言えそうです。

IT化(人工知能の進化)が進めば進むほど、私たちが番号として機能していきます。それが悪いという話ではありません。そのことによる恩恵も絶大なのですから。

コロナウイルスが攻めているのは、「番号である私たち」ではありません。「私たちの身体(そして、心も)」です。私たちは、番号ではありません。バーチャルな存在ではありません。世界を驚愕させた『シンギュラリティは近い』では、2045年ごろのシンギュラリティに近づけば、人間は病気をせず、体を必要とせず、脳さえ必要としない存在になっていくと言います。人間の脳のすべてはデジタル化が可能で、それをどこかにダウンロードすれば、永遠に生き続けられる、と言います。これって、私たちが普通の言葉では、「死んでいる」と言いますし、永遠に生き続けられるデータのことは「霊魂」と言えるでしょう。私たちは、脳を含む身体をもつ存在です。IT化は、ややもすると、それを忘れさせます。

人がつながり協力し合うために、ITツールはたいへん有効です。しかし、ITツールだけで、人のつながりは十分なのか?

コロナウイルスは、ITツールでのつながりはまったく毀損していません。リアルのつながりをはげしく攻めています。コロナingによって、私たちは、リアルのつながりや活動を絶たれ、非常に苦しい思いをしています。ITツールで補えないリアルの欠損にたいへん苦しんでいます。

コロナウイルスは、私たちを、国家を、社会を分断しますが、この危機に立ち向かうには、人類全体で、胸襟を開いて情報を共有し合い、力を合わせざるを得なくなっていきそうに思います。過去のわだかまりは捨てて。

では、アフターコロナでは、どうなのでしょう?

私たちが、身体と心を持つ存在であることと、そこから生じるリアルな世界を慈しみ、大切に思うようにはならないでしょうか? どこかで泣いている誰かは、番号ではなく、私と同じ身体をもつ誰かです。どこかで幸せな笑顔を見せれば、それも番号ではなく、私と同じ身体をもつ誰かです。私は、持って生まれた身体と心をせいいっぱい使って、人生を生きていきます。

これ、じつは、教育の根本でもあると思っています。それは、次回に。

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