[本を書いた10]「独学の力」は打ち出の小槌
本を補足するような内容をTwitterに書いています。そのなかのいくつかをまとめて掲載します。
「独学の力」は多様性
(2023年6月28日)
16年以上もホームスクーリングをやって来たのは思想があったわけではありません。ただ夢中で。今になって振り返ると、それは「多様性を求める旅」であったかもしれないと思うようになりました。
学校教育は仕組み上、多様性をもちにくい。勉強は1つの正解を習得すること。社会性は集団にあわせること。わが家は正解が1つとは限らない勉強をし、多様な人びとと理解し共に活動していく社会性を実践してきました。子どもたち自身の中に多様性を築いてきたのです。
だから、勉強とは点数・偏差値・受験・学歴を意識しないものでした。そんな勉強が何になるのでしょう? 子どもたちが大学受験を希望し自ら受験勉強を始めたところ、短期間で相当高いレベルで対応できています。長年進学塾に通いつづけた子に引けを取りません。
それを見て、生まれつきとか遺伝とかいう人がいますが、ナンセンスです。身体に多様性をまとうと、やろうと思うことがとてもやりやすくなります。多様性とは、「力」です。たとえて言えば、「打ち出の小槌」に近いものかも。もちろん直接財宝が出るわけはありませんよ。
多様性を身につけることを「独学の力」と呼んでいます。独学の方法、勉強の方法ではありません。あらゆる土台なのです。土台があれば、どんな方法でもどんな環境でもやっていけます。子どもの勉強だけでなく、大人の仕事としても。
[本を書いた08]パッとしないサラリーマンが3年間書き写しをしてオーストラリア支部長になった話
「独学の力」は土台
(2023年6月30日)
第二子、第三子が来年京都大学を受験します。模試の成績はすこぶる好調です。すごい田舎で、小中高に1日も行かず、塾もなし、学歴を求めない完全独学です。
『学校や塾へ行かずに、いかにして4人の子どもたちは独学力を身につけたのか?』という本を書きましたが、肝は「いかにして独学力を身につけたか」です。勉強の方法や独学の方法は主題ではありません。独学をできる力があるかどうか、これがすべてです。
方法と土台の違いはなかなか理解して頂けないようです。独学の力(土台)ができれば、勉強だけでなく仕事も社会性も自ら身につけていけます。方法は関係ないので、学校へ行っていても勉強ができるようになります。「独学の力」とは、「生きる力」そのものだと言ってもいいでしょう。
わが家がやってきた「独学の力」という土台づくりは、きわめて平凡で単純です。お金がかからず、田舎に住んでいても関係なく、親の学歴も無関係です。つまり、教育格差は越えられるはず。
皆が皆、高学歴を得られるなんていう話ではありません。「独学の力」はそんなしょぼいものではありません。人生、大きく生きようではありませんか。どうしてそうなるか。「独学の力」はネガティブケイパビリティだからです。
ネガティブケイパビリティ
(2023年7月1日)
無登校、無塾の完全独学・完全ホームスクーリングで育ったわが家の4人の子どもたち。そのあり方は、ネガティブケイパビリティそのものだと気づきました。
帚木蓬生『ネガティブケイパビリティ』によると、ネガティブケイパビリティとは、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」と説明されています。「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」とも。
ポジティブケイパビリティを考えるとわかりやすいです。できるだけ短い期間で成果や結果を出す。証明や根拠で主張を明確にする。必ず解決策がある。問題解決すべし。正解は1つ。正義、善、真実、真理。現代社会のパラダイムそのものです。そして学校教育も。
ネガティブケイパビリティはその逆。私たちが生きている世界は多様性に満ちており、正解が1つでないことが普通です。解決策が見あたらないことも普通です。証明や論拠を見出せることは現実の一部に過ぎません。その宙ぶらりん状態に耐えられるかどうか。思考停止や諦めではなく、主体性をもって。
教科書にかかれていることが現実の一面に過ぎないことを、うちの子たちは知っています。集団や規律が時に必要であっても時に仇をなすことも知っています。ポジティブケイパビリティの力は限定的。ネガティブケイパビリティの力はおそらく限りない。なぜなら世界そのものだから。
運・鈍・根
(2023年7月2日)
「大人になったら何になりたい?」子どもたちが幼いころ頻繁に尋ねられました。私ならこんな質問はしないのに、と思っていました。ポジティブケイパビリティから出た問いだと気づきました。
職業を尋ねているのでしょうが、そんなこと子どもにわかるわけない。ハーバード大の調査で、計画を持った人生と、運による人生のどちらが幸せかというのがあった(と思う)。もちろん、非計画です。世の中わからないことだらけ、未来は見えない、人生は何も決まっていない。
これこそネガティブケイパビリティです。わからない未来が不安だから、道筋を決めてしまおうとする。子どもたちにはそんなちっぽけな人生を生きてほしくないなあ。そう、わからない未来をわからないままにして耐える力が大事。いまはいまを大事に生きる。
ポジティブケイパビリティだと、目標を設定して効率よく行動するから期待した成果を得やすい。ネガティブケイパビリティだと、達成すべき目標がとくにないので、創造やイノベーションにつながる。歴史に名を残さなくてもいいから、小さなイノベーションがたくさん起きるような人生を生きてほしい。
『ネガティブケイパビリティ』にネガケイは「運・鈍・根」だと書いてある。なるほどこれだ! これこそわが家でやってきた完全ホームスクーリング・完全独学の正体、「独学の力」の本体なんだ!と、感動。ポジケイは「計画、速度、効率」のウサギ。ネガケイはカメ。寓話が示すものは深い。
「独学の力」はネガティブケイパビリティ
(2023年7月3日)
無登校、無塾、完全独学の第二子はほとんど勉強しない3年あまりの後、高校の勉強を始めて2年半というタイミングで今年の春、京大に3点差の不合格。来年こそと、日々勉強中。
3年前まで大学に行く気はなく、のんびりと小中の勉強を完全独学で進めてきて、急転回で大学受験を希望。志望は京大一筋。模試惨状からすごい勢いで成績上昇し、2年弱で旧帝合格圏、2年半で京大受験生に追いつきました。進学塾、進学校へ通い詰めた子たちをすでに追い越したかも。
ネガティブケイパビリティの成せる技。「計画、速度、効率」より「運・鈍・根」が優るのです。田舎に住んで、お金をかけず、凡人が、誰からも勉強を習わず独学で。不思議に見えますか? それはポジティブケイパビリティに立っているからそう見えるだけです。
第一子は小学校の間ほとんど勉強せず、その後完全独学で小中高の勉強をゆる~くやってきて、18歳から仕事に就いて、突然大学進学を希望し、1年半勉強して三重大学合格。国立大学です。完全ホームスクーリングですが、長期不登校のような勉強やらないぶりでした。でも読書量はものすごい。
ネガティブケイパビリティは多様性と通じるところが大きいし、わが家ではそれを「独学の力」と呼んでいます。「運・鈍・根」さらに、平凡、お金かからず、田舎でも問題なし。そんなものが、進学塾・進学校のバリバリ教育格差勝ち組に容易に追いつき追い越すのです。信じられない?
大事なのは学歴?
(2023年7月4日)
教育格差が語られるとき、多くの人がイメージするのは学歴を獲得する格差でしょう。本人には努力しようのない条件で差がついてしまうというような。でも、本当に大事なのは学歴?
学力という言葉も、多くの人は学歴に置きかえて理解するでしょう。私は強烈な違和感を禁じ得ません。わが家がホームスクーリングを選択した理由は「自分の人生を自分で生きる」ためであって、学歴は検討外でした。進学熱心な方々から見ると、バカみたいなことをやってきたでしょう。
子どもたちは大学進学に関心がなかったのに、ある時点で急に大学進学を志すようになりました。目的は学歴獲得や就職ではありません。完全独学ではなし得ないレベルでの学問。そしてもう一つ。独学が独善的なものなのか、世間で通用するものなのか、力試ししてみたいと。
模試の成績で明らかです。全国レベルで相当上位に位置しています。わが家がやってきたのは「独学の力」をじっくり育成し、誰とも競わずマイペースで幅広く勉強すること。受験家庭とは対極にありそうなスタイルです。子どもたち、ストレスフリーです。禁止・制限なし。なんでもやってみな、という日々。
子どもたちの大学進学は既定路線ではありません。どんな道を選んでも本人が納得できる人生を歩いて行けるでしょう。高学歴を得た人が皆幸せな人生を歩いているかというとそうではない。幸せな人生は意外と難しい。大事なのは、まさにそこ。何が幸せかは本人が決めること。親は応援するのみ。
アイデンティティ
(2023年7月7日)
完全ホームスクーリングでやってきたうちの子たちが大学進学しないなら、学歴は中卒です。とりうる道として検討してきましたが、不安も焦りもありません。大卒も中卒も生きていくにおいてあまり変わらない。
グローバルの時代、ITやAIの時代、いちばん大切なのは英語や高度なスキル・能力ではなく、アイデンティティではないかと思っています。埋没せず、振り回されず、虐げられず、どんな世の中になろうとも自分の人生を自分で生きる方途はしっかりしたアイデンティティをもつこと、これに限ります。
小中高に1日も行っていない、誰からも勉強を習っていない、すごい田舎に住んでいる。これらは人生における大きなマイナス要因に見えるでしょう。ところがどっこいしょ。うちの子たちにとってはすさまじいプラス要因であり、無敵のアイデンティティです。仕事も人間関係も有利になるでしょう。
大病、破産、過ちをおかした過去、失敗、こういう経験をアイデンティティとしている人もいます。人生のプラス要因よりもマイナス要因の方がアイデンティティにしやすいかも。何もない、という人も何かあるはず。ナンバーワンである必要はなく、オンリーワンである必要もありませんから。
何が私のアイデンティティであるかを決めるのは私です。他人ではありません。アイデンティティを持つために必要なのは、「これが私だ」という意志。他に必要なものはみつかりません。他人との比較は無意味ですね。学歴とか収入とか容姿とか比べてもしんどくなってドツボにはまるだけ。
(続きは次のページへ)