[本を書いた14]日本をおおうカルト信仰

本を補足するような内容をTwitterに書いています。そのなかのいくつかをまとめて掲載します。(その5。追加中)

 

デジタル信仰

2023年7月23日

日本はデジタル化が遅れている、デジタル化を進めなければならない、という「デジタル化絶対善」信仰はいつどうやって生まれたのだろうか? そもそもそれは正しいことなのか? 誰か答えられますか?

ITもAIも単なる道具に過ぎないはず。日本中がデジタル強迫症にかかっているかのような風潮は恐怖さえ感じます。日本中が狂ってないだろうか? たかが1つの道具に過ぎないものに対して、まるで戦争中の「進め一億火の玉だ!」みたいな、ある意味滑稽な。みなさん、本当にデジタル化を望んでる?

わが家はデジタルについて困ってはいません。でも、私の周囲にはパソコンを自由自在に使えない人が多い。初歩的なスキルや知識さえない人が多い。若い人もスマホは使えてもPC使えない人が少なくない。ITの仕組みがどうなっているか知らない人多い。ITを使うのでなく使われているように見える人も多い。

そんな人たちは時代から取り残されてまともに生きていけない? そんなアホな! みんな、人として尊厳を持って日々を生きています。必要に応じて道具を使いこなせる人はなんぼでも使ったらいい。使えない人、使いたくない人に強迫するなどバカバカしい。そう思うのは私だけなんだろうか?

どんな人もお互い支え合って生きていけばいいやんか。絆だよ。デジタル信仰は灰色の男たちが絆を分断する戦略なのかもしれない。単なる道具なのだからデジタルは善でも悪でもない。カルトのような信仰に化けると、知らないうちに人の尊厳が失われてしまう。セキュリティやプライバシーどころではない。

 

灰色の男たちが画策するカルト

2023年7月24日

デジタル信仰と学歴信仰はわりと重なります。それから経済信仰も。有無を言わさずみんなを巻き込む強迫観念。のがれることを許さぬほぼカルト。これらによって私たちは人としての尊厳を失っていく。

『モモ』が描く灰色の男たち(時間泥棒)はまさにこの首謀者。といっても、実在の具体的な誰かではありません。架空の、それでいてリアリティです。だから怖い。誰かであればその誰かと闘って倒せばいいし、諸悪の根源が可視化できるけど、現実はそうではない。灰色の男たちは人々から見えない。

現在の日本では(多くの先進国でも)デジタル、学歴、経済こそが、灰色の男たちが我々から時間を奪う重要なツールになっています。デジタルは便利で効率的なはずですよね。デジタルを使うほど時間の余裕ができてくるはずですよね。現実はどう? デジタル使いほど時間に余裕がないのでは?

学歴信仰にとらわれるほど時間がなくなっていきます。経済信仰もとらわれるほど時間がなくなっていきます。時間がなくなっていくと、怒りっぽく、他人を許せず、自分さえ良ければいいと思いながら自分を大切にすることもできず、自他ともに傷つけ傷つけ合う。自己責任という象徴的かつ破滅的なワード。

『モモ』に描かれるディストピア。灰色の男たちが我々を支配するとどうなるか。無気力、無関心、憂鬱、無感情、何ものをも愛せない、致死的退屈症。絆の消滅した世界です。なんか今の世の中見ていて背筋が寒くなってきませんか? そこまでいくと病気は治らないと、マイスター・ホラは言います。

 

オソイホド ハヤイ

2023年7月25日

『星の王子さま』にでてくる6人の変な大人たち。王さま、うぬぼれ男、呑み助、実業屋、点灯夫、地理学者。現代でも、身のまわり、どこにでもいる普通の大人たちなのに、なぜ滑稽に見えるのでしょう?

この人たち、見事に絆が欠落しています。絆が欠落すると、どんな権力や権威を笠に着ようとも、どんな立派な仕事をしようとも、何を語ろうとも、人間らしく感じない。人としての尊厳がない。絆は『星の王子さま』の主題です。サン=テグジュペリの日記を丹念に読むとそのために書かれた作品だとわかる。

目の前のことに振り回されることが大事なんだ、それが生きがいなのだ、と主張する人を止められない。そこまで至っていない人は、ちょっと立ち止まりませんか?今振り回されている「それ(学歴、デジタル、お金)」はあなたにとって本当に、何よりも大切なこと?それがないと生きられない?ほんとうに?

6人の大人たちの姿は、デジタル信仰、学歴信仰、経済信仰によって時間を奪われ尽くしたなれの果てでは?2045年ごろ、極限までデジタルが進化した世の中「シンギュラリティ」が来ると言われますが、それはバラ色の未来ではなく、灰色の男たちが時間を奪い尽くしたなれの果てにしか見えません。

人としての尊厳を失わないためのヒントは、『モモ』にでてくるトリックスターであるカメ(カシオペイア)の秘密、「オソイホド ハヤイ」。急がば回れ、急いては事をし損じる、短気は損気。ボチボチいきなはれ!先人たちはいいこと言うなあ。急げば急ぐほど絆を失い尊厳を失います。脱洗脳、脱カルト!

 

人生はだいたいでええんや

2023年7月26日

「人生はだいたいでええんや」と子どもたちが幼いころから言ってきました。自分の力をマックスに生かすコツはホドホド、ボチボチ。私の人生訓です。完璧主義は自分の力を浪費してしまいます。

一生懸命がんばることは貴いのですが、必ずしも結果が望むようになるわけではない。「人事を尽くして天命を待つ」と先人たちも言ってきました。完全独学で子どもたちが大学受験に挑戦しています。本人は一生懸命。親も全力で応援します。不合格も経験しました。「ま、ええがな、そういうことにしとけ」

人生で大事なことは成功ではない。大事なのは、挫折、失敗、撤退、試行錯誤、ためらい、先送り、悩み、孤独。感動は成功から生まれるのではありません。逆境、絶望、試練を越えたときに感動があるのです。ネガティブ事象こそ人生の醍醐味なのです。「苦労は買ってでもせよ」先人はいいこと言います。

神話の典型「ヒーローズジャーニー」は試練が肝心要。昔話も多くはネガティブ事象を伴います。それらは日々の人生そのものであり、人生を豊かに生きることを説いています。「本当は怖ろしい昔話」と錯覚して昔話から毒抜きしようとするのはなんともかとも怖ろしい。生きる意味の喪失に向かう。

かといってネガティブ事象に負けてしまっては生きていけません。努力、友情、勝利もいいでしょう。でも最強なのは「人生はだいたいでええんや」と思う。逆境の克服は有形事象とは限りません。人生の豊かさはお金や時間では測れません。最も豊かなのは、あなたも私も「それでええやんか」

失敗しても良いではありませんか

2023年7月28日

灰色の男たちは、デジタル信仰、学歴信仰、経済信仰などで脅迫しつつ、私たちから時間を奪っていきます。私たちは恐怖と不安で灰色の男たちとの契約に合意していきます。そして人生も社会もすさんでいく。

『モモ』に描かれた世界そのものです。なぜ恐怖や不安に駆りたてられるのでしょう?失敗を怖れるからです。『高学歴親という病』にはせっかく高学歴を手に入れたのにさらなる不安や恐怖にとらわれて子どもたちを追いつめていく姿が報告されています。高学歴は成功ではないのか?なんと無体な!

デジタル信仰、学歴信仰、経済信仰は勝ち負けを露骨にあおり、失敗を許容しません。信じないと地獄に落ちるぞと責め立てるカルト宗教と同じ。愛も絆も分断する教義。ならば地獄に落ちても良いではありませんか。「信じないと地獄に落ちる」という強迫観念以上の地獄などありましょうや?

同じく、失敗しても良いではありませんか。と、おおらかになればデジタル信仰、学歴信仰、経済信仰など消えてなくなります。勝ち負けなんかいらない。お互い支え合い、助け合っていけばいい。灰色の男たち、退散せよ!と意気込まなくても自然と消滅するでしょう。人生はだいたいでええんや。

失敗を許容しないパラダイムは感動がなくなります。生きる意味、人生の価値を失います。シンギュラリティは究極の無失敗社会です。便利、効率という概念は失敗を忌避する発想です。ある程度まではいい。それ以上はダメ。全ての人間は尊厳を持つ存在です。尊厳の正体は失敗ではないかと思う日々です。

 

(続きは次のページへ)

 

 

Follow me!