独学で大学受験 44 教育格差を超える

 

長い連載もいよいよ最終回。もしかしたら補足を書くことはあるかも知れないけど、言いたいことは全部言ったと思う。

ホームスクーリングを勧めたいのではない。難関大学合格法みたいな受験指南を書きたいのでもない。書きたいことはただ一つ。教育格差を超える提案だ。

教育格差はさまざまに論じられるようになってきたけど、原因は大きく言えば、経済格差と地域格差と家庭間格差だ。根本的な問題は家庭間格差に行き当たるようだ。経済も家庭の問題だし、地域もその地域に集まっている家庭の問題だ。親の学歴を子が継承していくという構造は固定されるべきではない。

面白い記事がある。ニューズウィーク日本語版2018年10月18日の「子どもの時に、自宅に紙の本が何冊あったかが一生を左右する:大規模調査」だ。31カ国、16万人を対象に行われた調査で、16歳の時に家に本が何冊あったかが、大人になってからの読み書き能力、数学の基礎知識、ITスキルの高さに比例することが明らかになったとのことだ。本がほぼない家庭で育った場合、読み書きや算数の能力が平均より低かった。自宅にあった本の数とテストの結果は比例し、テストが平均的な点数になるのは自宅に80冊ほどあった場合だった。ただし350冊以上になると、本の数とテスト結果に大きな関係性はみられなくなった。

衝撃的なのは、本に囲まれて育った中卒と本がなかった大卒が同じ学力であることだ。本がもたらす利益は世界的に一貫しており、教育水準や、大人になってからの仕事、性別、年齢、両親の教育水準とは無関係という。さらに、本によって、理系の能力も文系の能力も向上する。

ここに家庭間格差を超える手がかりが見出されている。ただたんに、自宅にある本の冊数が学力に強く影響し、家庭間格差とは無関係だという。すると、家庭間格差が自宅の本の「冊数」を生み出していると言えそうだ。学歴の高い親ほど本を多く持つ傾向にある、ということはおおむね言えるだろう。それならば、話は簡単だ。自宅に350冊以上本を置けば、家庭間格差は消滅する。

現実はそう単純ではないだろう。ただ、本をたくさん置いておけばいいというだけがすべてではないだろう(本がたくさんあるのはとても大事なことなんだが)。

で、私はそのへんを拡張して実践したきた、それでもって絶大な成果を得た方法を提案したい。現実はそう単純ではないと言ったしりからナンだが、私の提案は非常にシンプルである。お金もかからず、だれでもできる。

大量の読み聞かせ、大量の読書、大量の書き写しである。これだけのことだ。どの学校に通っているか、塾に行っているか、どこの地域に住んでいるかなど、関係ない。

読み聞かせは、本物の昔話を中心にする。でないと、うまくいかない。CDなどで聞かせるのではなく、肉声で。へたでもいい。お金がないなら、本は無理に買わなくてもいい。図書館を利用しよう。時間がとれないなら、長時間でなくてもいい。できるかぎりで。大量の読み聞かせが肝心要のスタートで、ここが不充分だったり、昔話以外の本ばかり読み聞かせていると、学力の土台にはなりにくいだろう。

保育園、幼稚園、学童なんかが、大量の読み聞かせ(本物の昔話)の重要さを認識してくれたら、地域で学力の底上げができそうだ。子どもに関わる人たちが昔話について勉強してくれたら理想なんだが。小澤俊夫さんが昔話についてたくさん本を書いている。どれでも読んでみたらいいと思う。

読み聞かせが十分であれば、読書、書き写しは自然と始まり、継続していくだろう。

書き写しは毎日原稿用紙1枚。ゲームやテレビにあてている大量の時間を少し融通するだけでいいのだ。

私の提案は、じつにシンプルで、財布にもやさしい。自宅に350冊の本を置けないなら、図書館を自宅のように活用しちゃえばいい。無料だ。

この土台づくりがしっかりできれば、完全独学でも国立大学に行ける。つまり、まじめに学校へ行っていれば、塾も何もなくていい。お金をかけなくてもいいのだ。不登校でも心配ない。うちの子たちは、小中高に1日も行っていないのだから、どんな不登校状態の子でも、うちの子たちの方がもっと不登校状態なんだ。

土台づくりがじゅうぶんできたとしても、それだけで学力はあがらない。学力を上げるには、勉強しないといけない。当たり前だ。ただ、土台がないと、勉強してもなかなか身につかないし、そもそもわからない勉強をすること自体が苦痛だろう。土台づくりができれば、勉強は苦にならないし、やればやっただけ身につく。

1つの学年で、大学に進学するのが半分。学科試験を受けて大学に進学するのがその半分(もう半分は無試験で大学進学する)。それぞれのルートは、中学入学時点でおおむね分かれている。試験を受けて大学進学する4分の1グループも、ある程度しっかり受験勉強するのはその半分強くらいではないか。つまり、ある学年の20%ぐらいの生徒が、受験勉強をする。受験産業が対象にしているのはこの層だ。残り80%を受験産業は見ていない。受験産業がつくっている参考書や問題集を、80%ぐらいの生徒はなかなか理解できないだろう。

80%を対象にした塾や参考書もあるにはある。しかし、80%のうち、そのような塾や参考書について行けるのは80%のうちの上位層だろう。

こんな話ができてしまうのは、教育格差が固定されつつあるからだ。なんとかならないものだろうか。

学力の土台づくりは、即席では不可能だ。最小の努力で最大の効果を、などという価値観はそぐわない。日々、地道な蓄積だ。なかなか成果は目に見えない。でも、1年、2年、3年と蓄積すれば、世界が変わる。

私の提案する土台づくりは、じつは、最も効果的で、最も効率が良くて、最も成果が大きくて、最も速いと考えている。でも、多くの人には、とんでもなく遠回りであったり、とんでもなく無意味であるように見えるかも知れない。

お金に余裕があって、いろんな選択肢をもっている人は、私のやり方はなかなか選択できないだろう。逆に、学力について困難や問題を抱えている人、お金がなくて学力をあきらめている人、教育格差の下剋上を望む人なんかは、いいかもしれない。

田舎に住んで、小中高に一度も行ったことがなく、塾も習い事も皆無で、だれからも勉強を習ったことがない子どもたちが、幼い頃から塾に通い、進学校に通い、優秀だと自他ともに認める子たちに並んだり抜き去ったりできるならば、どんな子でも、それ以上のことが可能なはずだ。教育格差など、どこにも存在しなくなる。

どんな環境でも、どこからでも、人生を拓くことができる。と、みんなが理解してくれたら、世界はきっと良くなる。

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