アフターコロナ 12(学歴)

前回、「教育大改革で、その結果が大きく出て、その結果、社会が大きく変わらざるを得なくなるのは、学歴信仰です」と書きました。昭和の高度経済成長、バブル期には、学歴が人材の質を担保していた部分がありました。「いい成績をとって、いい大学に入って、いい会社に就職して、安定した人生を送って・・・」という、いわゆるアレですね。

平成に入ると、だんだん社会のあり方が変わってきて、インターネットの普及でさらに変化が加速しています。変化の速度を測定する方法がないので、感覚的なものですが、学歴だけで測れない資質が求められるようになりつつあるのは、よくいわれることです。学歴で測れないということは、試験で測れないということです。学校教育で対応できないとは限りませんが、試験で測れない資質の涵養は、学校教育ではなかなか受け入れられません。

その資質とは、主体的に生きるといっていいでしょう。自分で考え、自分で選択し、自ら責任を持って行動する。与えられた課題に対するにしても、その背景や意味を理解し、自らの課題として、最善を尽くす。そんな資質です。

人工知能が進化すればするほど、受け身の生き方や受け身の学力は人工知能に代替されやすくなっていきます。そのことはさんざんいわれているので、あえて繰り返すまでもないでしょう。

コロナingで、休校が長引いたり、断続的に長期化したりすれば、勉強や日々の生活に自ら取り組むことが必然的に求められます。現時点で、春休みを含んで3カ月ほどの休校期間がありました。学年末と学年始が休校となったので、子どもたちには困難な状況でしょう。この状況でも、「自ら勉強できる子」と、そうでない子たちとの差がどうしても大きくなってしまいます。「自ら勉強できる」とは、すなわち独学ができることに他なりません。

現在の入試制度が、このような資質、つまり自ら生きる資質を測ることはできないので、どうしても学歴の意味は低下してしまいます。

しかし、多くのご家庭では、今もなお、末永く学歴がこれまでのように意味を持ち続けると信じているようで、偏差値向上に余念がなく、入試に死力を尽くしています。世の中が変われば変わるほど学歴になおいっそうしがみつくことが、現実から乖離していくだろうと思います。

コロナingで、これまでの形の入試が難しくなり、入試のあり方にも試行錯誤がなされるようになると、アフターコロナで学歴信仰が揺らぐかも知れません。コロナがなくてもその方向に進むでしょうが、コロナで前倒しになるなら、良いことだと思います。学歴を手に入れればうまくいくと信じて、全力で高学歴を獲得し、社会に出た頃、意味がなかったと気づくことになりかねませんから。

目的を持った大学進学に意味がないわけではありません。学歴を手に入れるための受験には意味がないし、そもそも大学に行くかどうかが重要ではなくなっていくでしょう。人工知能が進めば、コロナingよりもっと大きな変化が避けられないでしょうから。次回は、主体的に生きることについて。

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