[本を書いた26]共生をめざそう

2つの社会性

2023年12月6日

ホームスクーリングをしていると社会性はだいじょうぶかとよく言われます。学校こそ社会性が身につきにくいのではないかと思います。学校に行っている子たちの多くは、社会性が具わっているでしょうか?

社会性には同調と共生の2つの意味があります。前者は一様性、後者は多様性です。真逆の概念です。学校で学べる社会性は前者です。規律、集団などと言われるでしょう。ホームスクーリングはじめオルタナティブ教育では後者が中心です。そもそも社会性の意味が正反対なのです。

戦前・戦中ならともかく、現代の社会で大事なのはどちらでしょうか? どんな価値観、文化、歴史、バックボーンを有する人々とでもお互い理解し合い共に生きていく。容易ではありません。理想論かもしれません。無理だから価値観を同じくする者だけでやっていこう? それでいいのでしょうか?

学校で学べる社会性とは?

2023年12月7日

2007年から4人の子どもたちが完全ホームスクーリングでやってきました。ホームスクーリングが非難されたことはありません。逆風皆無でした。でも、妙に学校を擁護しようとした人は時々いました。

オルタナティブ教育が学校教育を駆逐することなどあり得ないし、浸食することもありえない。極小と巨大ぐらいの差がある。巨人がアリから身を守ろうとするように見えて、奇妙に感じました。とくに、大学生に目立つ。学校教育どっぷりだった自分自身に自信がないのだろうか。怯えているようにさえ。

学校教育を擁護する人は学力より社会性にこだわる。そこが学校教育の弱点なのかな? 同調という社会性に不安があるのかな? 学校で共生を学ぶことは難しい。主体的でないと共生にならない。常に正解のある学びでどうやって主体性を発揮する? 全員参加の行事でどうやって主体性を発揮する?

異文化共生は国内でも

2023年12月8日

「共生」という言葉はよく使われるし私も大事にしているけど、とても難しい。戦争はイヤだし、世界中の人たちがお互い理解し合って共に生きていけたらどんなにいいだろうといつも思うけど、夢物語だろうか?

私は大阪の千里ニュータウンで生まれ育ち、大学以降は京都市で暮らし、28歳で山の上の田舎へ移住。京都府の童仙房という集落は明治の開拓村なので、田舎といっても移住者集団です。ニュータウンと童仙房は極端な都会⇔田舎という対立項でありながら、同時に移住者集合体という奇特な共通点もあります。

都会と田舎で過ごした年数がだいたい同じくらいで、見事なハイブリッドを体現しています。都会と田舎はまるで違う。お互いに理解できていない。文化、価値観、地域、社会、生活様式。異文化共生は国際問題に限らない。子どもたちは大学進学とともに都会で暮らす。共生を身体で考えてほしい。

共生は日本発

2023年12月9日

大阪大学人間科学部に共生学という分野があります。『共生学が創る世界』というテキストに書かれていますが、共生学は該当する英語がないそうです。Kyosei studiesという概念語を世界へ広めていくとのこと。

共生は欧米発の概念かと思ったら、そうでもないらしい。意外。欧米発は「多文化主義」。これが揺らいでいるらしい。フランスのジェンダー旗手が多文化主義を否定する。アジア、中東等の文化はジェンダー概念が遅れているので多文化主義をとると進んだジェンダー社会が巻き戻されてしまう、と。

他文化はフランスへ同化すべきであると、コロニアリズムむき出しに見える論を展開する。じゃあどうすれば多文化主義を正当化できるかと問えば難しい。共生という概念は日本人にとってはそう違和感があるものではない。その立場からすると、フランスさん、なんでそうなるの?と見えなくもない。

敵と味方は戦い続けるのか?

2023年12月10日

子どもたちに『進撃の巨人』を勧められて今さらながら読んでみた。ふ、深いではないか! 中高生があの作品を理解できるのだろうか? テーマはまさに共生だ。結末で共生が永続しないことが暗示されている。

子どもたちが言うのだが、欧米の物語は敵と味方が仲良くなることはなく、戦い続ける。ハリーポッターもそうだとのこと。日本の物語(マンガやアニメを含む)は、敵と味方が仲良くなるものが多いと言う。私は気がつかなかったけど、そうかもしれない。徹底的に敵を破壊することを好まないようだ。

日本人は白黒つけたがらないと、定番のように言われてきた。共生とはそういうことかもしれない。間(あわい)とか間(ま)とかいう概念も日本人以外には難しいかもしれない。YesとNoのあいだ。議論、論破、討論、ディベートもいいでしょう。でもその上位に何かあるよね。それが共生の鍵かも。

自然との共生は理想論ではない

2023年12月11日

共生とは、人と人、人と自然、人と国、国と国など、さまざまな切り口がある。という話、日本人には違和感が少ないのではないか。とくに人と自然。欧米のパラダイムでは自然は共生対象ではないらしい。

熊が異常に出没しても、駆除と同時に「共生」という言葉が出る。熊を絶滅させようという意見はあまり見かけない。私が住んでいる田舎は熊がいないはずなのに、ここ数年、チラホラと目撃情報がある。熊慣れしていないので恐怖を感じる。徹底駆除を希望する。熊といっしょに暮らすことは無理。

マムシとスズメバチは身近にどこにでもいる。見かけたら駆除する。マムシと暮らすのは無理。見たら即つぶす。なのにどんなに駆除してもたいして減らない。家の周りから少しはずれればいくらでもいる。鹿や猪も人間の敵だ。でも、田畑を荒らさなければ敵ではない。これが共生の形ではないか。

悪戦苦闘の共生

2023年12月12日

わが家は農家ではないけど、小さな畑(家庭菜園)をやっている。ホームスクーリングにおける子どもたちの活動だ。というのは、収穫に失敗することが多いのでその言い訳です。ないしょだけど。しーっ!!

収穫に失敗する理由の大きな部分は有害鳥獣です。鳥(カラス、トンビのみならず各種)、鹿、猪、狸、アライグマ、アナグマ、ハクビシン。あとは虫。きれいな蝶の子ども(青虫)には殺気を覚えます。鹿はしつこい。どんな困難があってもあきらめない。わが子がそうなら美徳だろうけど、鹿なら殺気。

ネットにからまって動けなくなった鹿がいても平気で侵入を試みる。警戒心が薄くて、アホとしか見えない。猪は図体でかいけど臆病。猪の鼻はブルドーザー並み。上から下からこいつらに対策するのはしんどい。野菜作るより買った方が絶対安いわ、ホンマに。こういうボヤキもまた共生なのかもしれない。

 

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