独学で大学受験 32 志

 

わが家は完全ホームスクーリングだから、高校の次は大学などという発想はそもそもない。

第二子が2020年6月に大学受験を宣言し、8月に志望校を宣言した。高校年齢の半分近くが過ぎた時点である。学校へ行っている子でたとえてみれば、中堅ぐらいの公立高校に入学後、まったく高校の勉強をせずに、試験は0点近くというまま高校2年生となって夏に、難関国立大学へ行きたいと言い出したわけである。

ちょうどそのころ、7月に第一子が自動車工場の期間工を半年勤めて、帰ってきた。次の仕事はどうするか、という話をしばらくしていた。8月になって、「京都大学へ行きたい」と言い出した。とつぜん何を言い出すやら、さっぱりワケワカメである。

「大学へ行きたいのはいいが、それならどうして18歳で高校の勉強を終了せずに、そのまま受験へ移行しなかったんだ? なんで1年半もブランクをつくったんだ?」と問うた。

「期間工に行ったからこそ、大学に行きたいと思うようになったんだ。期間工に行っていなかったら、大学は思わなかった」とのこと。

たしかに、なんとなく大学へ行ったってあまり意味はないだろう。そういう点なら、第一子の遠回りに見える選択は間違っていない、というか、まったく正当だ。

それにしても、なんで京大なんだ?

第一子が小学生になる前から京大と地域が協定を結んで活動を始め、ずっと京大が身近だった。第一子が地元の(籍を置いている)小学校に行ったのは、卒業証書をいただいたときだけだ。授業に出たことはない。第一子は京大には何回行っただろう。10回ではきかない。公開講座にも参加したし、シンポジウムにも参加した。学園祭にも参加した(地域と京大のブース)。小学校や中学校より京大の方が身近だったのは間違いない。こんな子どもはいないだろう。

親近感をもつのはいいが、京大をなめているのではないか? そしてまた、受験を軽く考えているのではないか?

高校受験を経験せず、定期テストも一度も経験したことがないのだから、試験や受験がわからないのは無理もない。挑戦するのは良い。しかし、腹を据えて本気で臨むべきだ。

第二子にも問うてみた。「大学受験したいなら、どうして3年間も勉強のブランクを作ったんだ? 地道に継続して勉強していれば、ふつうに受験に入っていけたはずなのに」

第二子が言うには、「ブランクでもスランプでもない。あの3年間は哲学をしていたんだ。哲学をしていたからこそ、大学へ行きたいと思うようになったんだ」

なるほど。漫然と大学へ行くのではなく、明確な意図をもって行きたいと言うのだな。それは良いことだ。

2人とも、まず、受験がどういうものかを知らなければいけない。

今までは、だれとも競争せず、自分のペースで勉強してきただろう。受験はそうではない。競争に勝つことだ。偏差値に振り回されて生きるのはバカげている。受験はそのバカげたことを死に物狂いでやらなければいけない。大学には定員がある。定員の2~4倍くらいの受験生が競う。つまり、椅子取りゲームだ。

キミが合格すれば、だれかが代わりに落ちる。キミの喜びは誰かの悲しみとともにある。

他人を蹴落として這い上がらねばならない。鬼になり、夜叉になり、餓鬼にならねばならない。

ほんとうにそうだろうか。

そんな生き方をすべきでないと、幼い頃から教えてきた。他人を蹴散らし、自分さえ良ければよいという価値観はまちがっている。他人を馬鹿にしたり見下したりするのもまちがっている。人間は、どんなにエライ人でも自分一人では生きられない。どこかで誰かが、汚い仕事、危険な仕事、キツイ仕事を、もしかするとどえらい低賃金でやっている。そんな人たちがわんさかいて、文明が成り立っている。寝たきりの人は生きる価値がないのか? その方たちの存在は、私たちに生きる意味を問いかける。私たちも、いつその立場になるかわからない。ともに生きることの大切さ、尊さを問いかける。私たちは自分の思い上がりやごうまんさを思わずにいられない。なんと素晴らしい「価値」ではないか。キミは、そんな世界で生きているのだから、何かを一生懸命頑張って、社会に参画していこう。すべての人たちの人生が今よりいくらかでも良くなるために、何かに力を尽くしていこう。

受験とはなんだ?

良い会社に入って、たくさんお金を稼いで、楽な暮らしをするために大学へ行く? 上級国民になるために大学へ行く? そんな考えなら大学はやめておけ。

大学へ行くことで、キミがより良く社会に貢献できるなら、大学へ行くことに大きな意味があるだろう。自分のことだけ考えて大学に行こうとする受験生は多いだろう。そのような人の代わりにキミが合格することになら意味があるはずだ。

もしも望み通り国立大学にいけたら、他人から称賛されるだろう。国立大学にいけるのは10人に1人だ。望む人がだれでも行けるわけではない。さらに難関国立大学ともなれば、大きな称賛を受けるだろう。勘違いしてはいけない。それは、キミがエライのではなく、とても恵まれていたということだ。学歴を手に入れても、それをもって他人を見下すために用いてはいけない。

大学は学問をする場所だ。学術機関だ。わが国の知性の源泉だ。どんな種類の学問でも、そのすべてがわが国を支え、世界を支えている。そして、未来を作る。学問をあなどることなかれ。謙虚な志で学問に入れ。キミには世界を支え、未来を拓く覚悟があるか?

大学に行けたら、なんであれ、社会に還元し、貢献すべきだ。どんなささいなものでもいい。世界中のすべての人たちとともに生きていくことが自分の人生を自分で生きることにほかならない。

子どもたちよ、大志をいだけ!

 

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