アフターコロナ 11(教育改革)
前回まで、アフターコロナにおいて、身体を使った読み書きがいっそう大事になるのではないかと書きました。教育のあり方についても、大きな変動がありそうです。
休校が長引き、ある程度で終わるか、断続的に1年以上にわたるか、現時点ではわかりません。100年前のスペイン風邪を参考にするなら、数回の波が来て、断続的に数年間、自粛や休校を繰り返すことになるかもしれません。専門家の意見はそのようなものが多いようです。
そうなると、受験の仕組みが成り立ちにくくなります。学校の授業に地域差が大きくなれば、公平な選抜試験が困難になります。これは、現時点でもすでにそうでしょう。これ以上休校が長期化すれば、従来の受験ができなくなるでしょう。入学後もオンライン授業が主流となるなら、そもそも「入学」という意味さえ変わります。学校や大学で、教室で授業を受けるなら、自ずから定員があり、選抜しなければなりません。オンライン授業なら、そもそも定員は必要なのかどうか。資質の審査は必要でしょう。それは、従来のペーパー試験でよいのかどうか。たとえば、論文(レポート)&面接(試問)というような形態なら、自宅で論文を作成して提出し(ここまでオンライン)、実地で面接ということもありえます。論文作成で誰かに手引きしてもらっても(代筆してもらっても)、試問をクリアできません。高度な選抜が可能になりそうです。授業進度の違いも問題にならないでしょう。そのぶん、生半可な勉強では太刀打ちできないでしょう。
このような方向性は、コロナと無関係に、様々に論じられてきました。現在進行中の入試制度改革も、現状の入試がうまくいっていないという前提があってのことで、この前提に異論(現在の入試で良いという意見)はあまりなさそうです。人工知能の進化が加速すれば、現在の学校教育は行き詰まります。1つの正解があり、正解へ近づくことを目標とするなら、すでに人工知能が可能であるか、早晩、可能となるでしょう。学校教育がこのような学びに拘泥するなら、人工知能に負けるために労を費やしていることになります。そこへの危機感から、教育改革が検討・試行されており、教育を変えるには、入試を変えることが近道だという流れになっているようです。
教育の改革は、表面的なものではなく、根本的な改革が要請されています。近代学校教育は、明治初期に始まった形が、大きく変わることなく、現在もそのまま継続しているという、信じがたいまでに硬直したものとなっています。これほどまでに、変わることの難しい学校教育ですが、コロナingで、いやおうなく変わらざるを得なくなりつつあります。コロナによって変わるように見えますが、そもそも変わらなければならないところへ、たまたまコロナというきっかけが生じた、というところでしょう。
教育大改革で、その結果が大きく出て、その結果、社会が大きく変わらざるを得なくなるのは、学歴信仰です。それは、次回に。