アフターコロナ 13(自ら生きる)

前回、「アフターコロナで学歴信仰が揺らぐかも知れません」と書きました。そのために、主体的に生きることが、今以上に大切となるはずです。学歴や肩書きや、表面的な何かによるのではない、「私」です。人工知能に使われるのではない、「私」です。

主体的に生きるというのは、言葉では簡単ですが、実際には難しいことです。人は一人では生きられないので、社会に参画し、多くの方々と共に生きていかねばなりません。そのとき、社会に合わせて生きていくのではなく、自ら意志を持って社会に参画するのです。これまで日本人は、集団に合わせ、集団に埋没するように生きることが美徳とされてきましたが、このあり方は変わらざるを得ないでしょう。だからといって、権利や自由を主張するだけの個人主義でもうまくいかないでしょう。

コロナingで、一時的にしろ、自らをゆだねる対象(学校とか、仕事とか、所属する集団とか)が機能しなくなり、自ら生きねばならない状況が生じました。アフターコロナにおいても、人工知能の進化により、ますますそのような状況が現実化していくだろうと思います。

主体的に生きることが大切だ、というような言い方は、いろんな人がふつうにするので、とくに目新しく感じないかも知れません。じゃあ、どうすれば主体的に生きられるのか、っていうと、その手立てが明確にあるわけでもありません。

そこで、私は、提案します。わが家の独学では、つまるところ、主体的に生きることを目標としてきました。その結果、身体を使った読み書きが、なによりも大事だと気づきました。デジタルではなく、アナログの本を読み、鉛筆で紙に文章を書く。それを延々と積み重ねる。これに勝る方法はなさそうに思えます。読み書きは、勉強の土台であるだけでなく、人生の土台でもあると確信しています。次回は、共生です。

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