日本と世界5(インダス文明と日本)

前回、出雲の伝承について触れました。

出雲の伝承は、ドラヴィダ族の日本への渡来から始まります。

世界の四大文明という言い方がされます。エジプト文明、メソポタミア文明、黄河文明、インダス文明です。インダス文明は、インダス川流域を中心に前2300-前2000年ごろ最盛期をむかえたインドの古代文明です。遺跡において、王の存在が見られないこと、外敵から守るようなしくみを持っていないこと、武器が少なく、戦闘の痕跡があまりないこと、高度な都市計画がなされていたことなどが特徴で、インダス文字が解読されていないことから、文明の詳細が分からずにいます。

おそらく自然環境の変化によって文明が維持できなくなり、各地へ分散していったあと、アーリア人が侵入してきて、現在のインドのもとをつくったとされています。インダス文明をつくったのはドラヴィダ族と言われ、現在はインド南部に住み、タミル語などを話します。(第三子のアキはタミル語を勉強中です)

現在のインド・マディア・プラデーシュ州にあったクナ国に住んでいたドラヴィダ族が、民族の発展のため、クナト王をリーダーとして数千人が日本へ移住する計画をたてました。バイカル湖周辺に住むブリヤート人が広い範囲で交易をしており、「大陸の東の海中に、住民の少ない温暖な島がある」と教えたのです。紀元前2000年ごろのことです。

 

クナト王のグループは、ゴビ砂漠を通り、バイカル湖からアムール川を下って樺太、北海道、本州へと非常に長い旅をしました。直線に進んだらいいのに、どうしてこんなにも迂回したのでしょうか?

戦闘を避けるためです。そのため、人があまり住んでいない地を回って日本へ来たのです。

出雲の伝承は、ドラヴィダ族について、伝えています。母系社会のため、男性より女性が立場が上で、争いを好まないとのこと。インダス文明の遺跡がそう語っていますが、欧米人がインダス文明を調査すると、自分たちの文明観でとらえようとします。そうなると、王の存在が見えないことが理解しづらいようです。王がいても、王のあり方が違うのでしょう。パワーで支配するか、ネットワークで統治するか。人間の社会はパワーによる支配以外の形態もあります。とても平和的ですが、それが裏目(後に、出雲王国の滅亡でふれます)にでることもあります。

さて、クナト王グループは、定住の地を出雲に定めました。理由は、鉄がとれるからです。紀元前2000年、すでに製鉄技術(といっても、ノダタラですが)がありました。クナト王グループは、製鉄を日本へもたらしました。さらに、稲作も。ただし、水稲ではなく、陸稲でしたが。

中国で製鉄が始まったのが紀元前1000年ごろと言われているので、日本の方が、うんと早いことになります。インダス文明がそのまま日本へやってきたのです。日本は中国より文明が遅れていたと理解されるようですが、必ずしもそうではないようです。

『魏志和国の都』(大元出版)に、こう書かれています。

国語学者の大野晋は著書『日本語とタミル語』で、日本語はタミル語に最も良く似ている、と解説している。タミル語はインドのドラビダ語の一種である。

いわゆる出雲族は、古代インドのドラビダ人だった、と考えられる。日本人の遺伝子の検査により、出雲族にはドラビダ人の血の他にも、アジア大陸各地の血が混じっていることが、明らかになっている。

しかし、縄文時代には出雲族がもっとも多かったので、ドラビダ語に古代モンゴル語などが混じって出雲語ができた。それが基になって日本語ができた。

つまり出雲王国に各地の人が関係したから、出雲王国の言葉が共通語となり日本語が形成されたらしい。

出雲族はパワーで支配するのではないので、先に日本に住んでいた人たちと融合していったようです。

大野晋さんは国語学の権威ですが、日本語のタミル語起源説は学界であまり受け入れられなかったようです。インドと日本が離れすぎていることと、なにもかもタミル語とそっくりというわけでもないからのようです。大野さんの書によると、日本語の骨格部分はタミル語と同一といっても良いのではないかと、私にも感じられます。日本語のどくとくなリズム、五七五が、タミル語にもあります。現在の日本語は欧米の影響を強く受けていますが、万葉時代の日本語はやまとことばで、五七五のリズムで語ることが最もしっくりくるようです。日本語の根幹は五七五だといってもいいのではないかと考えています。

大野さんによると、とくに稲作に関する言葉に、日本語とタミル語で強い類似が見られるそうです。出雲の伝承にマッチします。

『日本人の源流』(斎藤成也/河出書房新社)に、「出雲ヤマト人のDNAデータの衝撃」という項があります。出雲は朝鮮半島に近いので、大陸寄りかと予想していたら、そうではなく、東北に近似があるとのこと。日本列島への渡来モデルを3段階で捉えていますが、第2段階(4400~3000年前)に、日本列島の中央部に第2の渡来民の波があったそうですが、彼らの起源ははっきりしないとのこと。まさにこれ、出雲族に合います。

次回は、出雲族渡来後です。

 

 

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