日本と世界14(ヤマタイ国)
前回、第2次物部東征に向けて、物部イニエ大王と宇佐家の豊玉姫(第2のヒミコ)が結婚し、都万王国と豊王国が連合したことを書きました。魏志倭人伝によると、239年にヒミコ(卑弥呼)が魏へ使いを送っているので、その数年前のことです。東征の準備中、イニエ王が亡くなり、息子のイクメが王となりました。イクメ王はまだ若すぎるので、豊玉姫が女王として東征を実行することとなりました。
中国では、184年に道教集団が漢帝国打倒に立ち上がり、黄巾の乱(こうきんのらん)と呼ばれましたが、鎮圧されました。しかし、道教は各地に広まり、五斗米道という宗教団体となって各地で反乱を続け、220年に漢帝国は滅びました。その年に建国された魏は勢いを増し、呉と争いました。『三国志』で有名な三国時代への突入です。第2のヒミコは、ちょうどこのタイミングです。
呉の銅鏡作り職人が、和国へ亡命してきました。最初は都万国へ行きましたが、都万国が魏と国交を開こうとしていたので、ヤマトへ向かい、磯城王朝のもとで銅鏡を作りました。ヒミコ(豊玉姫)が魏からもらったよりも、古い銅鏡です。
魏は、漢を滅ぼした道教を弾圧して勢力が強まりました。豊玉姫は、魏に朝貢して印綬を受けたいと望みました。それは、魏の属国となることを意味します。韓国を通っていくので、韓国語と中国語ができる人物を探し、ヒボコ勢を味方に付け、ヒボコの子孫のタジマモリを使者に選びました。
磯城王朝を圧倒するために、ヤマトより先に魏と国交を開くことを、豊玉姫は決意しました。物部・豊王国の女王が和国全体の王であると魏に錯覚させようと考えました。漢の時代に書かれた後漢書東夷伝には、「大和国の大王はヤマトにいる」と書かれています。だから、都万国がヤマトを攻めるとは言えず、自分がヤマト国にいる、と偽ることにしました。魏へ使いを出す際、使節に口裏を合わせ、伊都国の役人も魏から来た使者にそう答えるよう、万事ととのえました。都万国から魏へ使者を使わした後、魏からの使者が訪れましたが、使者を女王の住む都万国へは入れず、伊都国にとどめおき、都万国がヤマトにあるように使者に説明させていました。だから、魏の使者はヤマタイ国の位置をあいまいな記述をすることになってしまいました。つまり、ヤマタイ国はどこかというと、女王(第2のヒミコ)の都がヤマタイ国であるとするなら、都万国であり、九州の宮崎から大分にかけて、ということになります。
豊玉姫の都万・豊王国の敵は、吉備王国、出雲王国、ヤマトです。しかし、魏から敵国の名前を聞かれたとき、ヤマトとは言えず、物部勢と不仲であったクヌ国の名前を答えました。そして、そのように魏志倭人伝に書かれました。第1次物部東征を防戦したのは大王の息子である大彦でした。大彦は、物部に攻められて、最後は北陸へ逃げ、北陸方面はクヌガ国と呼ばれました。魏志倭人伝に書かれた、クナ国の王であるクコチヒコとは、大彦の息子の息子久々智彦(くくちひこ)のことです。
豊玉姫が魏へ使いを出したのが239年で、魏からの返書には、ヒミコを親魏倭王として金印・印綬を授けるとありました。魏志倭人伝に使者として難升米(なしめ)の名が記録されていますが、タジマモリのことです。
さて、ヒミコが使わした使節団について、日本で議論になっているのは魏からもらった100枚の銅鏡です。じつはこの件で、魏の側で論議が起きました。和国の使者が「神獣鏡が欲しい」と申し出たのですが、道教の乱の直後なので道教神の彫られた鏡の所持は禁止され、持っていると処罰さえされました。和国がその神獣鏡を欲しがった上、和国では道教を拝んでいると聞き、エライ騒ぎになりました。道教は「鬼道」といわれ(魏志倭人伝にもそう書かれています)、邪教です。そんな和国と国交を開いて大丈夫か?という話で、和国にプレゼントするために三角縁神獣鏡を特別に作った、などということはあり得ません。まあ、遠い海の向こうの島国なので、魏への影響はないやろとのことで、廃棄され融解処分待ちの神獣鏡が100枚ほどあったので、その「廃棄物」を和国へ払い下げすることになりました。
和国へのプレゼントをもって、魏からの使者が和を訪れました。豊玉姫は、ヤマタイ国(邪馬台国)の場所をウソつくため、伊都国(福岡県糸島市)まで出向き、受け取りました。三角縁神獣鏡は日本国内で400枚以上発見されており、中国では1枚も見つかっていません。三角縁神獣鏡は、すべてが呉からの職人がつくった日本製品です。魏からもらった鏡は、小型で三角縁のないものです。下の写真2枚は、出雲市の荒神谷博物館の2018年「奴国」特別展より。上は、三角縁でない小さな銅鏡なので、魏からもらった銅鏡の可能性あり。下は三角縁神獣鏡なので、ヤマトで作られた国産品。
ヤマトで、都万・豊王国に対抗して国産鏡をつくるとき、和人好みの大きな鏡を作ろうとしましたが、鏡を厚くしなければならず、銅が少なくて丈夫にするために試行錯誤しできあがったのが三角縁です。つまり、三角縁神獣鏡は、国産のイノベーションなのです。豊玉姫が魏鏡を100枚配った話を聞き、ヤマト側では大きな三角縁神獣鏡を400枚以上作って豪族に配りました。
次回は、いよいよ、第2次物部東征です。