大学受験12 昔話の構造1

前回、昔話の語り口について書きました。マックス・リュティが説く昔話の絶対的な特性は、純化と含世界性です。この2点が、昔話の重要さを最大限に語っています。勉強の土台作りに欠かせないものであることを語っています。

ツリー構造

昔話の純化作用は、構造そのものです。背景も心情も理由も経過も、余計なことを何も語らず、極限までシンプルに話を進める。これは、昔話の構造がそのまま見える語り口です。構造とは、骨格と考えてもいいです。肉付きや肌の状態、顔の表情、頭の思考、感情など、何もかもとっぱらった、骨です。骨格が人間を成り立たせています。

構造は、ツリー構造として考えられます。ツリー構造とは、何段階かに階層化された構造で、コンピュータのディレクトリ構造や、生物の系統図などがそうですが、日常的に非常に多く見られます。

書籍の目次もツリー構造となっています。たとえば、

 

同じレベルの情報は同水準の情報です。章、節、項は3階層あり、レベルが違います。章と節は情報の水準が違います。たとえば、章が野菜、穀物、肉なら、節は人参、大根、芋で、項は、育て方、食べ方、栄養素などとなります。

きちんと構造化されている本なら、目次を見れば、どのような内容なのか、ほぼ見渡せます。

昔話のツリー構造

昔話を考えてみましょう。

たとえば、誰でも知っているはなさかじいなら、次のようにツリー構造で表せます。

きわめてシンプルですが、お話の構造としては、これ以外の何ものでもないことをご理解頂けるかと思います。これはつまり、さらなる構造化が可能で、結局は、下のように表せます。

Aはいい人で、Bは悪い人です。これは世界共通のモデルです。はなさかじいでは、正直爺さんと欲張り爺さんとして語られることが多いようですが、正直と欲張りの違いは、単純です。正直爺さんは自ら行動し、欲張り爺さんは人まねをしていいとこ取りをする、という違いです。それ以外の徳性は語られていません。

人まねが悪いことであるという人生観は、おおむね世界中で共通しているようです。

日本の学びでは、師匠のまねをひたすらします。これは、人まねではありません。他人をモデルとしてひたすら自己研鑽を重ねることであり、正直爺さんに相当します。

さて、上の構造図で、AとBは爺さんでなくてもいいことに気づきます。姉さんでも、貧者と長者でも、弟と兄でも、きつねとたぬきでも、なんでも成り立ちます。行為1・2・3も何でもいいです。はなさかじいとは似ても似つかぬ話に見えながら、同じ構造をしているということも、昔話では非常に多いです。はるかに離れた国では文化や歴史が違うので違う話に見えるのに、構造は同じだ、というようなことが多いです。世界中の昔話は、バリエーションを考えれば無数にあるといってもいいですが、昔話の構造のパターンは膨大にあるわけではありません。

昔話が勉強の土台であることを理解して頂く核心部分です。あまりに重要なことなので、匍匐前進(ほふくぜんしん)します。つづきは次回へ。

 

 

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