大学受験17 世界のすべて
前回、「下から上へ」の構造化とKJ法について書きました。
KJ法の秘密
『続・発想法』(川喜田二郎/中公新書)にKJ法のものすごい秘密が明かされています。引用します。
KJ法の用途のうち、かなりの人が見おとしているが、きわめて重要な一点を述べたい。それはこの方法によって、不確かな情報からでも真実が見抜ける、少なくとも多分に見抜けるという問題である。
「不確かな情報」とは、たとえば客が店に対して抱く主観的な印象や動作のことで、これらにKJ法を使えば(つまり、下から上への構造化をすれば)、顧客の真の需要や願望を見抜けるというのです。川喜田さんは文化人類学者ですが、フィールドワーク(野外調査)をすれば現地の人たちから直接話を聞くことになり、主観的な断片情報が集まってきます。それらをもとに、学知を構築していく作業は、前のビジネスの例と同じ構造です。
そのさい、「おそらくこういうことだろう」と予断をもってのぞめば、不確かな情報を予断に合わせて解釈することとなり、真実は見抜けません。つまり、上から下への構造化では、このような秘技を使えないということです。
KJ法の秘密、もうひとつ
同書でもうひとつ、重要な秘密が明かされています。
われわれはまず第一の被面接者をえらび、そこにおもむいて、テーマに関係してあらゆる角度から詳細に意見を聞きとる。つぎにこれをKJ法で組み立て、第二の被面接者のところへゆく。第一の被面接者の述べた意見を相手にわからせたうえで、そこに書かれている以外のあらたな意見をもとめる。またさまざまに意見がでるが、しかし第一の被面接者ほどの多様な意見はだしにくいのである。それは重複した見解がたくさんあるからだ。同様に第三、第四の被面接者を、もちろんなるべくちがった角度からながめられる人をもとめてゆく。あらたにつけ加えられる意見の数は、みるみる減少してゆく。数人もあたれば大半の意見のバラエティーは集まるのである。十人もあたれば、それ以上かわった見解を集めることに困難を感じてくる。
そこでたとえば十人くらいの見解を集めることで調査をうちきり、そのさまざまの見解を徹底的にKJ法で組み立てる。そうすると、その問題をめぐる見解や状況の構造があきらかになる。われわれはそこからいくつかの有力な仮説を見出すことができる。そこでこのような仮説が見通されてから、その後その仮説の適否をためすために、定量的な世論調査をおこなえばよいのである。
つまり、少々おおげさにいえば、わずか10人ぐらいで世界を見通せることになります。十人寄れば文殊の知恵、でしょうか。ここでも、エリート型の上から下への構造化ではこんなことは起きません。
昔話の含世界性
いよいよ昔話に戻ります。昔話をたくさん読み聞かせし、自分でも読むことで浅い読解力がそなわり、独学で勉強できる土台ができていくというのが、当サイトの主張です。独学で勉強できるなら、大きなお金をかけなくても学力を伸ばしていけます。
マックス・リュティがいうところの昔話の特性は、純化と含世界性です。純化とは、構造そのものと考えていいでしょう。その構造が上から作られたものであるなら、つまりエリート思考で作られたものなら、特段の力は持たないでしょう。そうではありません。昔話は、世界中で、名もなき庶民が、遙かな年月を、ひたすら子や孫のために語りついできた、人類の至宝です。すぐれた誰かが作り上げた作品ではありません。まったくもって、下から上への構造なのです。
下から上への構造は、不確かな情報から真実を、わずかの情報から世界を見ることができます。このような力を昔話はもっているのです。とはいえ、「昔話で世界を見る速習コース」のような教材がつくれるはずなどありません。長い年月(3年以上)日々を重ねるしかありません。幼児から取り組むなら、小学生になる頃には独学のスキルが身についています。小中高生で勉強に困難を感じるならば、そのときから始めましょう。3年も辛抱できないはずはないでしょう。他の方法でも困難を脱出できないなら、ためらう理由はありません。大きなお金がかかるわけでもなく(図書館を利用すればお金はかからないはずです)、副作用もありませんから。
次回は、受験の結果を報告します。