大学受験22 長寿と教育
前回、人生100年時代と教育について書きました。
長生きはラッキー?
人生100年時代というのは、遠い未来の話ではなくて、ごく近い未来、もしくは現在ほぼその段階に入りつつあるということです。身近で見ていても、20年前には70歳代で亡くなる方が多かったのに、今は90歳を超える方がずいぶん多くなり、まったく珍しくなくなりました。20年前に「もうそろそろお迎えが来るかな」と言っていた人たちが、年齢を重ねるペースで寿命が延びている感じで、いつまでたっても「もうそろそろお迎え」状態が続き、いつまでたってもお迎えが来ないといった感じです。
長生きできるようになったからいいじゃないか、と思うのですが、そう単純な話でもなさそうです。というのは、人生70年あまりのつもりで生きてきた人が、思いがけず20年のボーナスをもらって、どうしたらいいかとまどっているように見える人たちも少なくありません。「することがない」といって日々を過ごしている人も多そうです。だから、テレビの視聴者は高齢者にかたよるのかも。
せっかくの長寿、もったいない話です。せいいっぱい、人生を満喫したいものです。そのためには、若いうちから、ライフステージをマルチキャリア、マルチステージで考えるべきだ、というのが『ライフシフト』でした。大学受験も、そのような視野で取り組みたい、というのがわが家の姿勢です。
100年どころか、さらに長生き
人生100年時代でも大変革なのに、どうもそんなレベルではおさまらないかもしれません。
『ライフスパン――老いなき世界』(デビッド・A・シンクレア、マシュー・D・ラプラント著/梶山あゆみ訳/東洋経済新報社)の帯には、「人類は老いない身体を手に入れる」とあります。うさんくさい本ではなく、著者は、老化の原因と若返りの方法に関する研究で知られる世界的に有名な科学者です。遺伝子レベルで、老化の原因を突き止めつつあり、そこへ対策をすると老化がリセットされる、つまり若返るということが動物実験で確かめられつつあるとのことです。
人間は、120歳を超えて生きられないと考えられています。しかし、120歳が限界である理由はどこにも存在しないとのことです。寿命が尽きる原因は老化です。そして、老化はさまざまな病気を引き起こします。老化は病気とされていませんが、老化が病気や死をもたらすのだから老化を疾病と見なすべきだと著者は主張しています。疾病であれば、治療すべきであり、治療法が存在するはずです。その研究に著者はとりくんでおり、かなりの進展をみているそうです。
大事なことは、寿命が延びても健康でいられないなら、望ましいことではないと考える人も多いのですが、健康寿命が大きく伸びて、長寿の限界近くまで健康でいられるなら、長寿をのぞむ人が多いでしょう。150歳を超える長寿(健康寿命)が視野に入るそうです。未来にはもっと限界が伸びるかもしれません。
世界中の国で順次、出生率が低下し、人口減少が予測されています。まだしばらくは世界の人口が増えますが、永遠に増えるのではなく、数十年後をピークとして減少に転じます。戦争も大災害もなく、自然に世界の人口は減っていく見通しです。しかし、大きな長寿が実現するなら、見通しは変わるでしょう。となると、地球を壊さない文明のあり方(持続可能な社会、サステナビリティ)を、今以上に真剣に考え、未来へ先送りすることなく、大胆にパラダイムシフトする必要があるかもしれません。
150歳まで健康で元気でいられるなら、高齢者という概念は意味をなさず、生涯現役がふつうで、年齢によるステージの分け方はなくなるでしょう。人生100年時代どころか、その1.5倍、人生150年時代が到来すれば、現状のライフプランは非現実的となり、通用しません。今の大学生は現状の計算(コホート平均寿命)でも100歳程度であり、これまでのライフプランが通用しないと見られていますが、若返り革命で150歳まで普通に生きられるかもしれません。よほどしっかり未来を見据えないとエラいことになりかねません。
実学志向は大丈夫か?
年々、学校教育の実学指向が強まっています。役に立つ勉強を多くして、役に立たない勉強を減らそう、という動きです。これがたいへん危険であることは、多くの識者が指摘しているので、何を今さらという気がしないでもないのですが、世の中には、実学志向を良いものだと信じている人が今もなお非常に多いので危惧しています。
実学がいらないというのではありません。実学だけでは不足だというのです。理系には実学に相当する分野が多く、理系偏重が加速しています。前回ふれたSTEM(科学、テクノロジー、エンジニアリング、数学)はまさにそうです。そのぶん、人文社会系が削減されつつあります。しかし、『ライフシフト2』でもはっきり述べられているように、STEMでは不足で、A(リベラルアーツ)を組み合わせるべきです。そもそも、これからの人生100年(150年以上?)時代に、そしてAI時代に、文系・理系を分けること自体が適切なのかどうか、見直すべきだと思います。
『ライフシフト2』では、テクノロジーの開発・発展とおなじくらい、社会的発明が必要だと言っています。技術を生み出しても、それが社会でよりよく使われなければ意味をなしません。
『教育現場は困っている』(榎本博明著/平凡社)はサブタイトルに「薄っぺらな大人をつくる実学志向」とあります。これからはICTの時代なので、知識を覚える必要はないという言い方がはびこったり、効果のないアクティブラーニングが推進されたり、役に立たない勉強が排除されたりと、そういう流れに異を唱えています。英語学習も、英文和訳から英会話にシフトしたことで学生の英語力が暴落していると。著者が言っていることは、他にも多くの識者が異口同音に言っているので、私にはおなじみの意見です。これみな、アメリカの実学志向をモデルにして、なんとなくマネしているだけだと言えなくもありません。
実学志向のみでも、当面はやっていけるでしょう。じっさい、STEM分野では人手不足で、当面はいくらでも職があるでしょう。しかし、マルチキャリア・マルチステージで生きていこうとすれば、実学のみでは早晩、行き詰まるでしょう。豊かな知識、人としての深い知性、教養を身につけていなければ、人生100年時代を有意義に生きることは困難でしょう。いや、できないと言い切ってもいいです。
大学生にとっての100歳は80年後です。80年後はおろか、10年後でさえも、どんな世の中になり、どんな技術が生まれてどんな社会になっているのか、正確に予想することはなかなかできません。未来に対して計画を立てるだけでなく、どんな未来がこようとも、最も良い生き方を見出していく力を涵養すべきです。
そのためには、新しい知見と同じくらい、古い知見を学ぶべきだと考えています。わが家では、子どもたちにそのことを徹底してきました。