独学で大学受験 3 ネット婚

 

1996年にパソコンを買い、インターネットを始めた。日本人でインターネットをやっているのは、ごく少数だった。誰かに教えてもらうことは望めず、すべて独力だった。その年、ホームページをつくり、田舎での暮らしを発信した。田舎に住んでいる人が田舎での日常を発信したのは私が初めてだと思う。雑誌や新聞でたくさん取り上げられた。当時のホームページは、HTMLタグを手打ちするしかなかった。その教科書もろくにないし、googleだって存在しない時代だ。日本語で書かれたホームページが3000ほどと言われていたので、何もかもが手探りだった。ブログサービスもSNSもない。電話回線にモデムで接続し、インターネットをする際に電話料金がかかるという時代だった。ネットで動画を見るなど想像すらできない。画像の重たいホームページは迷惑だった。現代人から見れば、石器時代のように見えるだろうか。

当時、ネットユーザー同士の交流は、メーリングリストが主流(というか、他にない)だった。現在もメーリングリストは存在しているが、知らない人が多いのではないか。電子メールのサークルだと思えばいい。何かのテーマで誰かが自由に立ち上げて管理人となり、自由に参加する。私は多いとき15ぐらいのメーリングリストに参加していた。その中の1つでたまたま出会った女性と、たまたま結婚することになった。「たまたま」とことさら書いたのは、出会いを目的にした場ではないし、どちらもパートナーをそこでみつけようという思いはまったくなかったからだ。当時は出会い系サイトなど存在しない。インターネット上に出会いを目的にする場はなかったと思う。そんな下心を持つ人はあまりいなかっただろう。ネット上に危険な人はほぼいなかった。ネットマナーがものすごくうるさかった。現代人が見たら発狂するかもしれない。そのぶん、ネットは安全な世界だった。1996~1997年ごろのことだ。

結婚したのは1999年。童仙房に移住して8年目。私は関西で妻は関東。育った環境も趣味も性格も何もかも違う。接点がないはずなのだ。どうして結婚することになったのかよくわからないが、こういうケースのために「運命の赤い糸」という設定があるのかもしれない。なにはともあれネット婚だ。しかも、最初期のネット婚だ。インターネットがなければあり得ない出会いと結婚だった。インターネットの神様、ありがとう!! \(^O^)/

1999年から2000年にかけて、日本人のかなり多くがインターネットをするようになった。「かなり多く」であっても大多数ではない。1998年ごろまでは、インターネットをやっている人は、全員スキルが高かった。1999年以降はスキルの低いユーザーが大量に増えて、パソコン教室のようなものが大繁盛した。日本語のホームページも爆発的に増えた。まだまだタグの手打ちをしていた時代だが、ホームページ作成用のソフトも出始めた。ブロードバンド環境はまだだが、電話料金に悩まされずにインターネットができる「フレッツISDN」が登場した。良い時代になったと皆大喜びしたのだが、現代からみると、ISDNは忍耐不能な遅さだ。携帯電話は普及しつつあったが、携帯電話でインターネットはできない。そんなこと想像すらできない。もちろんスマホは想像の中にすら、ない。インターネットをするためにはパソコンが必要だった。だから、パソコンがバカ売れした。googleが誕生したのもこの時期だ。アマゾンや楽天市場も出てきた。信じられないだろうが、アマゾンは弱小ショップだった。日本ではyahooのサービスがブレイクした。インターネット環境が徐々に向上してきた。石器時代から縄文・弥生時代に進んだ感じだ。

2000年に私は初めて独自ドメインを取得し、レンタルサーバを借りた。以後、こんにちまで、たくさんのドメインを取得し維持してきた(廃止したものも多い)。レンタルサーバもずっと運用している(今は3つ)。パソコンのスキルはすべて独学だ。専門家とはいえないが、幅広くいろんなことができる。様々な仕事を請けてきた。

さて、結婚した次の年、2000年に最初の子が生まれた。最初の子が生まれた時にはすでに、わが家はバリバリのパソコン家庭、インターネット家庭だった。パソコンやインターネットの環境がきわめて貧弱な時代から悪戦苦闘していれば、おのずからスキルは身につく。ちなみに、1996年当時、Windows95時代と現在のWindows10時代のそれぞれ標準的なパソコンのスペックを比較すると、単純な比較は困難だが、CPU、メモリ、ハードディスクとも、1000倍どころではない。ムーアの法則そのものだ。1996年ごろ、Windows95でAccess95を使っていると、ひんぱんにAccessがフリーズした。その際、Windowsまで道ずれにしてしまう。週に2~3回、Windowsの再インストールが必要だった。そのたびにパソコンをぶっつぶしそうになるのだが、実行にうつすことはなかった。パソコンは無傷で、スキルが蓄積されていった。整備されたもの、無難なもの、効率のよいものがスキルを伸ばすのではない。野蛮で未熟で不合理なものほど、スキルを伸ばす。勉強も同じことが言える(世間は逆に考えている)。

2002年からはパソコンを自作し続けている。親が使うパソコンは絶対こわれないように、早めにパーツを交換するので、使えるパーツが余る。もったいないので、それらを集めて子ども用のパソコンとして再利用する。

だから、うちの子は、3歳から自分専用パソコンをもっている。4人ともだ。リサイクルパソコンなので、どんな使い方をしても良い。つぶれても良い。無制限に、好きなようにして良い。子どもたちにとって、ものごころついたころから、パソコンは日常的なありふれたオモチャであり、道具だった。パソコンにあこがれることはなかっただろう。

石器時代からパソコンを使い、インターネットを利用していると、じつに様々なことを経験する。他人から相談を受けることも多く、経験値は加速する。「危ないこと」は匂いでわかる。世間で言われている安全対策とは異なる事項も多い。安全対策にはおおむねそれなりのスキルが必要だ。究極の安全対策とは、電源を入れないことに尽きるが、それでは意味がない。積極的に活用することとセキュリティとは、根本的に二律背反にならざるを得ない。だからスキルが必要なのだ。それらを子どもたちに伝受してきた。公にしにくい家訓のようなものかもしれない。好きにして良い、ということは同時に責任をともなう。

ようやく第一子が生まれたわけだが、ホームスクーリングはまだだいぶ先だ。今回書いた環境を見れば、ホームスクーリングではICTを駆使したのだろうと想像されるかもしれない。未来(2022年のこと)の教育は電子教科書やらオンライン授業やらギガスクールやらICTまっしぐらだ。じっさい、わが家でそのようなICTの活用はなんの問題もない。となると、私がICTを教育に活用する道を説く、と期待を抱かせたかもしれない。ごめん。裏切る。

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