独学で大学受験 4 家づくり
第一子が1歳になる直前、童仙房内で、近所で古民家を借りて大リフォームを始めた。童仙房は、明治初期の開拓地で、その後も順次入植があった。戦後に入植して早くに出て行かれた方が建てた家だ。いわゆる田舎の古い屋敷ではない。開拓者の住居だ。
屋根と柱だけそのまま流用して、他はすべてやり直した。ながらく空き家だったので、いたみも激しかった。柱の根元が腐り、屋根からぶら下がっている箇所もあった。そういう柱はジャッキで持ち上げてコンクリートで根元を固めた。湿気にやられている壁は、下部をコンクリートにした。
床も壁も天井も、新築並みに全面改築だ。部屋の間取りも変更し、建具さえも自作した。トイレも風呂も朽ちていたので、すべてやり直した。風呂はユニットバス、トイレは簡易水洗。一部、業者に手伝ってもらったところもあるが、ほぼ私の自力改築だった。
電気とガス(プロパン)は業者にやってもらったが、水道は自力だ。水道工事は資格が必要だとツッコミが入りそうだが、ノープロブレム。童仙房には上水道も下水道もない。各家が井戸をもっている。この家でも、新しく井戸を掘り、ポンプを据えた。そのポンプからの配管を水道と表現したのだ。配管工事でヘマをしでかしても、誰にも迷惑がかからない。自宅だけで完結しているのだから。べつに、ヘマはしなかったけど。
電気にしても、屋根裏、壁裏のどこをどう配線が通っているか、すべてわかっている。基幹が7本あり、それぞれがどこをどうカバーしているかもわかっている。どのブレーカーとどのコンセント・照明がどうつながっているか、わかっている。
9月7日に着手し、12月16日に住み始めた。すさまじい突貫工事だ。完成ではない。半分ほどの出来で、残りは住みながら工事を進めていった。
ほぼ完成したと言える状態になったのは、夏頃だ。さらに、2年後には、合併浄化槽を設置し、簡易水洗トイレを水洗トイレに変えた。浄化槽と便器据え付けは業者だが、それ以外の工事は私がやった。
家の形としては、これが現在もそのままだ。あちこち、修理や変更は重ねてきたが、基本形は変わっていない。
第一子が生まれたのは、前の家だが、第二子以降はこの家で生まれ育った。第一子も1歳以降はこの家なので、前の家は記憶にない。
子どもたちが大きくなるにつれ、机が必要となる。学習机を置くスペースはない。かといって、昔のようにミカン箱で勉強しろというわけにもいかない。壁に板を取り付けて机とし、参考書等をふんだんに置けるよう、机のまわりに本棚を作った。すべて自作である。
この家は、ありがたい。北側にゆるやかな傾斜があって茶畑が一面に広がり、南側が開けている。東隣の家は直線距離で30mぐらいなのだが、その間に小高い丘があるので、互いに音は聞こえない。犬が吠えても子どもが叫んでも、近所迷惑にならない。西隣の家は、直線距離で200m以上あるだろう。南隣の家は、遙か彼方で、もはや隣とは言えない。家は車道から30mぐらい入ったところにあるので、子どもたちが家の周りで遊んでいても危なくない。
童仙房には、熊と猿はいない。鹿や猪、里山にいる動物はたいがいなんでもいる。人間に危害を加える動物はいない。気をつけなければいけないのは、マムシとスズメバチだ。スズメバチは、毎年スズメバチホイホイをしかけているので、家のまわりではあまり見かけなくなった。マムシもめったに見かけない。子どもたちには、マムシを見分けられるよう、教えてある。都会の人たちは、マムシやスズメバチ(とくにオオスズメバチ)と聞くと、大げさな恐怖を感じるようだ。それはナンセンスだ。マムシもスズメバチも、こちらが攻撃をしない限り、おとなしい。悪意はないし、凶暴でもない。その点、人間はどうなんだ? 悪意もあるし、凶暴な人もいる。田舎にはそんな人はいないし、他所からおかしな人がくれば、てきめん、目立つ。集落内の人たちは、みんな、私の子を知っている。集落じたいがセキュリティだ。都会の方が、はるかに危険に満ちている。
童仙房で子育てすると、本当に楽だった。「近所迷惑」という言葉は不要だった。「危ない」という言葉もあまりいらない。家の中にいようと、外にいようと、好きにすればいい。自然の木や土が、そのままオモチャになる。わが家には工事の余韻として、木材の断片がたくさんあり、工具や道具もなんでもある。工作は無制限。
私は田舎暮らしにあこがれていたわけではない。望んだわけでもない。なりゆきで、童仙房が気に入り、住み続けている。今年でちょうど30年になる。
田舎にあこがれていたわけではないが、「自力」にはあこがれる。いつか、自分が住む家を自力で作ってみたいと、若い頃からあこがれていた。そんなことは無理だろうとも思っていた。親になってすぐに実現した。感無量だった。子どもたち4人、この環境で育った。家を建てる知識やスキルがあったわけではない。土方をやってきた経験を拡張することで対応できた。
家の中で最も改造したのは、本棚だ。本についてはそのうち書くが、わが家には異常なほど本が多い。とうぜん、置き場所に困る。置き場所を考えてから本を買うのではなく、本を買ってから置き場所を考える。子どもたちもそういう思考回路になっている。だから、壁は本棚に変わっていく。壁に本棚を設置するのではなく、壁に板を打ち付けて、壁そのものを本棚にしてしまう。現在、わが家には壁が残っていない。本棚はそこらじゅうにあるが、壁はない。子どもたちはさらに本棚に変えられる場所をいつも探している。すると、ないはずの壁がみつかる。そこが本棚に変わっていく。子どもたちは、本棚は作るものだと思っている。いくらでも増えていくものだと思っている。子どもたちが、もっと本を増やせといつも言っている。私が本を買うのをためらっていると、子どもたちに活を入れられる。
4年前に、家の外のスペースに書庫を建設した。家族総がかりで、工事した。子どもたちも、1棟の建物を自力で作るという経験ができた。その書庫には数千冊の書籍を収納しているだけでなく、夜は第二子が寝室代わりにしている。本宅は寝る場所が狭いので、かってに書庫を寝場所として使っている。
家の修理や改造はほぼ自力だ。パソコンも自作する。梅干しも自作だ。味噌やジャムもときどき作る。パン、ピザ、ケーキなんかも作る。子どもたちもいろんなものをつくる。
受け身の生き方は好まない。自分でできることは自力でする。自力でできることを拡張していく。わが家の伝統だ。その1丁目1番地が、家作りだった。その延長上にホームスクーリングがあることに、気づいてくれたら、うれしい。