独学で大学受験 5 絵本の読み聞かせを始めた
第一子が生まれたことで、私は父親になった。当たり前だが初体験である。どう育てていけばいいか、何もわからない。あれこれ見聞きしたことはあるが、実践したことがない。
多くの人は、親になったとき、自分の生まれ育った環境、自分の親が自分をどう育ててきたかを振り返り、参考にするのではないか。もしかすると、反面教師として参考にするということもあるかもしれないが。
私の父親は、どのように子どもを育ててきたかという「方針」を、私が大人になってからも語っていた。同じようにしろとはひと言も言っていない。それが正しいことだとも言っていない。ただたんに、経験を語っていただけだ。
それを思い出す。私が参考にしても良さそうな部分は、こんな感じ。
本が大切。絵本の読み聞かせと、読めるようになったら読書。
文房具はたくさん与える。紙などを無駄遣いしてもいい。好きなように、好きなだけ、やりたいことをさせる。
勉強は無理強いしない。興味をもつことは本人が得心するまでとことんさせる。
このへんは、私の父でなくても、かなり多くの人が同じことを言っている。そして、私はこのように育てられた。この3カ条は、もっと拡張しつつ、わが子に適用していこう。
3カ条のうち、最も幼いときに始められるのは読み聞かせだ。読み聞かせをする本は、ふさわしい年齢がある。けれども、年齢は無視しても良いのではないか。もちろん、むりやり押しつけるのは良くない。けど、杓子定規に考えることは子どもにとって良くないように思う。このようにいう人はあまりいない。私の経験と直感だ。ハウツーで人を育てるのは違うと思う。ウィニコットが言うように、ほどよい関係が最適ではないか。何が良いかは、親と子の交流で自然と定まってくる。外部が決めるのではない。
こんな感じで、生後6カ月から、絵本の読み聞かせを始めた。6カ月というと、首がすわって、親が抱えて座ることはできるが、まだハイハイはこれからだ。とはいっても、ごろごろころがったり、ハイハイっぽい動きをしようとしたりする。まもなくハイハイを始め、12カ月前後で歩き始める。
こういう、動き始める時期に読み聞かせを始めた。当然、言葉などわかるはずがない(ほんとうはいくらかわかっているのかもしれないが)。だっこして、絵本を読む。聞かない。動き回る。当然だ。でも、聞いている設定で読み続ける。どこかへ行ってしまっても、聞いている設定を崩さない。聞かない子どもを叱るなんて、とんでもない。
私が子どもの頃、たくさん絵本を読んでもらって、それらは今も覚えている。そして、今も書店で買える。3世代読み継がれてきた絵本が、力のある本物だ、というような意見も聞く。大人が読む書物でいえば古典に相当するのだろう。良い本だから、時代を超えて読み継がれてきた。必然的に古典は人類の至宝だ。どんなに古い作品でも、現代的意義をもち、汲めども尽きぬ学びがある。絵本も同じように考えたら良いのだろう。
私が子どもの頃親しんだ絵本を中心に買いそろえて、読み聞かせた。昔話も創作童話もある。たとえば、『ないたあかおに』は定番だが、昔話ではない。浜田廣介作の童話だ。伝承されてきたお話ではない。昔話は作者がいない。いつ生まれたとも、誰が作ったともわからず、数え切れないほど多くの人たちが語りついできたお話だ。だから、語る人によって、ゆらぎがある。『ももたろう』は昔話だが、『ももたろう』という固定されたお話があるわけではない。語る人の数だけ、様々なももたろうがある。だから、絵本によってももたろうが違っている。創作童話は作品が固定されている。ゆらぎはない。
その頃の私は、昔話の絶対的な重要性を認識しておらず、だいたいおすすめ絵本リストにありそうな絵本を選択していた。
ただ、書店に行くたびに感じたのだが、昔話の絵本も、昔話の読み物も、うんと少ない。アニメチックな絵本やディズニー絵本は昔話ではない。昔話そのものの絵本、昔はかなりたくさんあったが、いつのまにか、激減している。絶滅危惧種なのだろうか?
ないわけではない。さがせばそれなりにみつかる。でも、ふつうに書店にいって、子どものコーナーで探そうとすると、あまりない。昔話のシリーズやセットはあまり見かけない。昔話とそうでないものがごっちゃになっていて、昔話を選び出すことがむずかしい。昔話について少しでも見識のある人なら、選び出せるし、書店の店頭になくても探して入手できるだろう。でも、多くの親にそれは困難ではないかと思える。となると、21世紀の子どもたちは、昔話を知らずに育つのかも知れない。五大昔話といえば、ももたろう・かちかち山・さるかに合戦・したきりすずめ・はなさかじじい。私が子どもの頃は、これらを知らない子はいなかったと思う。今も、すべての中高生あるいは大学生があたりまえのように知っているのだろうか?
そんなことを感じつつも、昔話と創作童話をともに、読み聞かせた。創作童話も、すばらしい作品がたくさんある。
読み聞かせるうち、子どもは楽しんで聞くようになっていった。気に入った絵本は、なんども繰り返すことをせがむ。同じ絵本を10回ほど繰り返して読むのは、少々、忍耐も必要だ。なるべく子どものリクエストにこたえた。
読み聞かせは非常に大事だ。そんなことは親になる前からよくわかっていた。だから、生活の中で、最優先した。夫婦で交替しながら、読んで読んで読み続けた。いくら忙しくても、他に用事があっても、読み聞かせが最優先。読み聞かせは、親にとってもけっこうおもしろい。子どもの本とて、バカにできるものではない。読み聞かせは苦行ではない。最良の娯楽である。という流れができたら、読み聞かせの無限ループに入っていく。子どもはその中心にいる。