独学で大学受験 10 テレビと読解力
テレビについては、もう少し書いておきたい。わが家では、テレビはあったし、禁止も制限もしていない。ただ、ダラダラとつけっぱなしにすることはなく、見たい番組を選んで、そのときだけテレビをつける。
想像してみて欲しい。いつもテレビがつきっぱなしになっていて、絵本の読み聞かせを全くしない環境の家庭がある。テレビ家としよう。テレビはたまにつけるけど、毎日しっかり昔話の読み聞かせをする家庭がある。昔話家としよう。テレビ家では、幼い子どもがたえずテレビの映像と音声にさらされている。テレビの言葉、映像がどとうのようにインストールされる。昔話家では、昔話とそれを読む親の声やぬくもりがインストールされる。これが2年、3年、4年、5年と蓄積されていけば、どうだろう。その差は覆せないものとなる。
学力は親の遺伝で決まると思っている人が多い。それが格差として固定されていくと思っている人が多い。学術研究で、遺伝の影響は60%だと明らかになった。60%もある、なのか、60%しかない、なのか。遺伝で決まるといってしまえば、身も蓋もない。社会階層が固定されるのを受け入れるしかなくなるではないか。そうではない道を探したい。
親が高学歴でも、テレビ家だと、そこの子どもが勉強をできるようになるとは思えない。例外があるなら、その子はほんとうに天才なのだろう。親が高学歴でなくても、昔話家だと、そこの子どもは高い言語能力と思考力を獲得し、読解力を身につけていくだろう。読解力はなにより大切だ。先生の話を聞いて理解する力、教科書を読んで理解する力、問題で問われていることを理解する力なのだから。
私が家庭教師などで中高生を教えてきて、幼少期の読書体験が貧弱であることを強く感じることが多かったが、それはつまりこういうことなのだ。言語能力、思考力、そして読解力の問題なのだ。『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』で指摘されたように、読解力が低い子がたいへん多い、というのは私も常々感じている。
読解力が低いということは、先生の話を聞いて理解できないということなのだ。それで勉強ができるようになるはずはない。いくら塾に行こうとも、勉強時間を増やそうとも、問題はそこではないのだ。
と、力説したが、子どもの学力に意識が強い親(それはおおむね高学歴だ)は、程度の差はあれどもそのことを知っているようだ。だから、幼少期から環境を整える。私も当然、そのことを理解していたし、強く意識した。まさか、テレビをつけっぱなしという環境をつくるはずがない。
逆に言うと、幼少期の環境を整えられれば、親の学歴や所得の差は超えられるだろう。そんな実例は珍しくない。東大や京大に合格するという程度のことに生まれつきの才能はいらない。私が京大生だった頃、京大生はみな、平凡な若者たちだった。天才でもなんでもない。ふつうの、凡人たちだ(天才はいたのかも知れないが私は会わなかった)。ただ違うのは、ある程度の読解力が備わっていることと、それをもとに思考する力があることだ。これは遺伝ではない。生まれた後の蓄積だ。何を蓄積するか、の違いなのだ。
テレビがついている時間を少なくするということは、親がテレビを見る時間を減らすということに他ならない。いつもテレビがつきっぱなしのご家庭でテレビを消すことは、違和感があるかもしれない。ただ、子どもの学力を伸ばすとは、そういうことなのだ。
読み聞かせにしても、親が自分の時間を子どもに振り向けないと成り立たない。ヒマをこじらせている親はめったにいないだろう。それでも、いくら時間がなくても、優先的に子どもに時間を振り向ける。ここに差ができる。遺伝よりも、この差の方が大きいだろう。ここを逆転できれば、格差を克服できるに違いない。私が書いている記事は、そのためだけにある。