独学で大学受験 20 学習マンガ
第一子が小学4年生になると、第二子は1年生になり、ホームスクーリングの仲間入り。第三子は4歳、第四子は2歳だ。
第二子、第三子は生まれた時から怒濤のように読み聞かせをしてきたので、言葉の習得は一段と早かった。第三子が生まれるころには、昔話の重要性に気づいていたので、読み聞かせは昔話に特化しつつあった。だからだろう、第三子の言語能力は一段と高かった。第四子は家庭の事情で幼少期の読み聞かせがややおろそかになった。同じ親の4人の子どもたちでも、読み聞かせに大きな濃淡ができてしまっている。ひとえに、親の未熟さ故だ。申し訳ない。
今日は、学習マンガについて、書いておこう。村の図書室もよく利用した。子ども向けの世界の伝記マンガが多数あり、子どもたちが気に入って、よく借りていた。そんなに好きならと、ヤフオクでまとめて購入した。家にあると、同じ本を繰り返し読む。有名どころの人は、すっかり理解してしまった。すると、世界の歴史にも興味が湧いてくる。世界の歴史や日本の歴史の学習マンガも数種類ずつそろえた。
伝記マンガは、いくつかの出版社からでているが、超有名な人は、どこのラインナップにも入っている。たとえば、マリー・アントワネット。フランス国民が苦しんでいる時に贅沢の限りを尽くし、フランス革命時にギロチンにかけられた「悪女」と言われることが多い。飢えている国民に「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」とトンチンカンなことを言い、怒りを買ったというエピソードも有名だ。伝記となれば、主人公を良いように描く。それでも子どもたちは伝記マンガを読んで、良い人とは思えなかったようだ。そして、数種類のマリー・アントワネットを読むと、それぞれ視点が違う。「パンがなければ・・・」は本当はマリーの言葉ではないという事実もわかってくる。
伝記マンガは脚色が強いが、数種類を読むことで中和されるようで、そうなると伝記マンガに書かれていることのすべてが史実ではない、人物評価も正当とはかぎらない、ということが幼い子どもにもわかってくる。
伝記マンガは他の子どもたちにも人気のようだ。だからたくさんの商品が作られ、図書室・図書館の定番にもなっていくのだろう。わが家に遊びに来た子どもたちは、伝記マンガに興味をしめしたり、その場で読み出したりする子がわりと多いようだ。
伝記マンガにつづいて、科学のマンガ、古典のマンガ、文学作品のマンガなども多数購入した。数百冊になると思う。小学館のドラえもんの教科学習マンガシリーズも40冊ほど購入した。
勉強の導入のきっかけという意味では、学習マンガも良いと思う。学習マンガだけで勉強になる、ということは無理だが。
たかしよいちさんの科学のマンガはすごくいい。科学的な思考のプロセスをマンガで表現している。
古典マンガも複数種類を購入した。源氏物語でも、マンガなら幼い子どもが読んで理解できる。あらすじや登場人物は自然と理解している。宇治橋を渡った時、「ここから浮舟が身を投げだんだね」と生意気なことを言っていた。古典は古典として読んだ方がいいのは当たり前だ。文学作品もオリジナルを読んだ方がいい。だからこそ、面白そうだからオリジナルを読んでみたいという動機を学習マンガがつくってくれるという側面を評価してもいいと思う。
いろんな学習マンガを購入し、子どもたちは非常に多くの学習マンガを読んできた。やはり、伝記マンガは良かったと思う。
スティーブ・ジョブズ、ディズニー、安藤百福など、現在その商品が主流となっているような人たちもラインナップにいる。ジョブズやディズニーは超成功者と思われているだろうが、うちの子どもたちからの評価は芳しくない。ものすごい実績を残した人でも、人としては欠陥や欠点が凡人以上に多かったりする。あまり良い人はいない、ということがわかってくる。偉い人たちのような人間にはなりたくないと、子どもたちはよく言う。
ヒトラーのマンガもある。超悪人だろうが、不遇の子ども時代はよくある話ともいえるし、同情すべき点もある。生まれた時から超悪人ではなかった。しかし、途中のどこかで大きく歯車が狂う。その有様は、現在のわが国にも重なる。ということでも子どもたちにわかってくる。悪人という単純なラベリングは適切ではない。
ポプラ社の日本の伝記シリーズは後発なだけにすばらしい。学術研究をふまえ、正確さを期している。第三子が特に好きで、全巻購入してきた。これを読むと、日本の歴史にめっぽう強くなる。
学習マンガは図書館や図書室に多数そろっているはずだ。積極的に利用したらおもしろいと思う。勉強は勉強としてやらないといけないが、勉強は楽しいかも、というモチベーションがはぐくまれたりするかもしれないが、そんな下心を親がもっていると子どもにみすかされてうまくいかないかもしれない。やっぱり学習マンガもマンガとして楽しんだらいい。そういえばわが家でも、子どもたちが読みたがるから買った、というだけだった。