独学で大学受験 31 受験宣言

 

第二子は中2から高2にかけて、ほとんど勉強しなかった。中3の2カ月間で中学の内容を一気にやったが、たいへん心もとない。中学の内容が、そこそこではあっても十分習得できているとは言いがたい。

高2年齢になって、コロナが始まったこともあってか、スランプが一段と激化したように見えた。親として、将来を心配するようになってきた。自立してやっていけそうには見えない。

高2年齢の6月ごろ、「大学へ行きたい」と言い出した。中学の内容が不安なばかりか、高校の勉強はまだなにもやっていない。大学受験なんて、かすんで見えもしない。

親として、「ダメだ」とは言うわけない。ただ、見えないのだ。

第二子は、行きたい大学を、やりたいことを考えるために、いろんな大学や専門学校の学校案内を取り寄せた。私立大学の案内を取り寄せたらお金をもらえるのだが、国立大学の案内を取り寄せたらお金を払う。国立も私立もたくさん取り寄せた。お金を払うのは親で、お金をもらうのは第二子。なんか釈然としないが、まあいい。

学校案内を見比べると、よくわかる。それぞれの大学が、どのような受験生を求めているかが。

東京大学の案内は、小さな字がびっしり書かれていて、高校生にはかなり難しいと思えるような内容だ。そのようなものを読み込んで理解する受験生を求めているということだ。

京都大学の案内は、研究内容の紹介が中心だ。最先端の高度な研究に関心を持ち、みずから研究にたずさわろうと志す受験生を求めている、と読める。

文理融合や国際化をうたう大学もちらほら見られる。

就職についてページをさく大学もある。学生生活の楽しさをうったえる大学もある。ブランドイメージを前面に押し出す大学もある。

そうするうちに、第二子の志望が形をなしてきた。やりたいことも明確だ。それができるコースがはっきりとあるのは、難関国立大学だけ(数校)らしい。お金になる研究ではないので、カネ、カネ、カネの新自由主義全盛社会にあっては、疎外される分野なのだろう。ギリギリ難関国立大学の矜恃が維持しているといったところなのかもしれない。

おお、ココロザシはまことにけっこうだ。ぜひガンバリたまえ。問題はキミの学力なんだ。希望するだけでは現実は1ミリも動きやしない。

さすがに第二子にも、そのことはわかるようだ。

オヤジは京大現役合格と言っても、40年前の話だ。共通一次の4年目だった。共通一次の過去問は3年分しかなかった。塾も予備校も行っていない。予備校の夏季講習なら行った。模試の成績優秀者が夏季講習に招待されたから。高3のとき、模試を26回受けた。模試のシーズンはだいたい半年ぐらいなので、毎週近く模試を受けていたことになる。土曜日が休みでなかった時代だ。全国的に無名なローカル進学校の公立高校に通っていた。高3で校内模試が3回あったが、3回とも学年トップだった。共通一次も校内トップ。

そのような結果をだすための勉強はあくまでも授業の予習復習が中心だった。塾や予備校がなければならないものではない。有名進学校の授業ではない。ふつうの公立高校の授業で十分なのだ。教科書をしっかりマスターしたら、おおむね京大付近まで届く。あと一押しすれば京大に合格できる。あと一押しにはプラスアルファが必要だけど。

さて、40年たったいまの入試はどうなっているんだろう? 40年もたてば浦島太郎状態か。まったく別ものになっているのではないか。

制度はいろいろ変わったが、センター試験の過去問を見ると、40年前の共通一次とよく似ている。京大の過去問を見ても、40年前とおどろくほど似ている。京大の場合は、何も変わっていないと言ってもいいぐらいだ。時代が変わって、入試制度が変わっても、入試問題はあまり変わらない。京大の伝統なのだろう。

大学受験は、40年前の考え方とやり方が、あるていど今も通用するかもしれない。参考書や問題集はずいぶん変わった。40年前よりも、劇的に増えた。選ぶのが難しそうだ。40年前なら、京大を受けるならこれとこれとこれ、というような定番があった。40年前の京大受験定番参考書は、今もそのまま売られている。驚くべきことだ。40年前と試験問題があまり変わらないという私の感覚が正しいということなのか。

ネットや各種情報で、現代の受験の取り組み方、進め方をいろいろ見たが、私が40年前にやってきた手法とほとんど変わらない。表面的には大学受験の仕組みが変わっても、本質は変わらないのだろうか。

京大に限らず、難関大学の受験プロセスはおおむね共通している。どこまで精度を上げるかの違いだ。

私が第二子にコーチングできそうだ。勉強は教えない。受験の心構え、スケジュールの考え方、参考書や問題集の選び方、日々の進め方など、アドバイスはできるだろう。

わが家の子たちは完全ホームスクーリングなので、高校受験もしていない。定期テストも経験していない。外部から受験に関する情報が入ってくることもない。南山城村で難関国立大学を受験する人は、たぶんいないだろう。だから、周囲に受験の環境も情報もない。都会に住んでいれば、そして学校に行っていれば、うるさいほど情報がやってくるだろうけど。

高2年齢の夏になって、まだ高校の勉強を始めていないという絶望的な状況から、難関国立大学へどのようなプロセスを描けばよいか。意外にも悲壮感はない。昔話の大量読み聞かせと、大量読書、大量の書き写しという、他の追随を許さぬ土台があるからだ。

よし、やってみよう。1年半遅れた高校生、起動する。

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