独学で大学受験 43 ICT
もう気がついたと思うけど、わが家の完全ホームスクーリング&完全独学で、ICTはほとんど活用していない。
子どもたちが3歳のころからそれぞれの専用パソコンを与えていることは、何度か書いた。子どもたちは、幼少期から自分のパソコンを自由に使えるので、PCスキルはそれなりに育つ。プロフェッショナルとはとてもいかないものの、やりたいことは調べればたいがい自分でできる。パソコンを苦にすることはない。
親である私も、インターネット黎明期から使っているので、それなりに使える。専門家とは言えないが、PCの自作、トラブル対応、LAN、ファイルサーバあたりはふつうにやっている。パソコンを使う仕事もいろいろとやってきて、まあそれなりだ。インターネットの神様のおかげで結婚できたので、インターネット様には足を向けて眠れない。日々、インターネットが生活の一部にもなっている。
わざわざこんなことを書いたのは、勉強でICTを使うならたいがいのことは可能だと示したいからだ。
現在、教育界では、ギガスクールだとか、オンライン授業だとか、デジタル教科書だとか、ICT化にヒステリックになっている。うちの子たちはすでに教育がデジタル化される頃には通り抜けているであろう年齢だし、そもそもホームスクーリングなので教育界がどうなろうと関係ない。それでも、これから先の子どもたちが心配なので、ちょっと書いておこう。
第二子が京大受験に向かっていた頃、こう言った。「パソコンでやる勉強も、インターネットでやる勉強も、何の役にも立たなかったし、無意味だった。予備校の動画授業も体験してみたけど、あれなら自分で参考書を読んだ方が早いし、よくわかる」
私はICTを使う学習に否定的ではなかった(過去形)。なので、子どもたちが幼い頃から、学習ソフトの類を様々に購入してみた。さすがによくできていると感心するし、子どもたちも何となくゲーム感覚で取り組んでいたようだが、受験生となって振り返ってみると、勉強として無意味だったと評価された。学習ソフトに数万円かけた親の立場として「無意味」という断罪は複雑な思いがしないでもない。
4人とも、2歳ごろから中3まで進研ゼミを継続した。第三子と第四子は中学生の勉強が順調に進捗して、中3の春ごろ、中学生の内容が全部終わってしまった。中3時点で模試の成績も申し分なく、進研ゼミの超難関コースの赤ペン課題も実力診断テストもほぼいつも満点かその付近だったので中3の夏で進研ゼミを退会した。退会理由は「簡単すぎてやることがなくなった」である。中3の夏頃から高校の勉強に移行した。まるで中高一貫校みたいだ。でも、毎日、のんびり勉強している。
進研ゼミは、タブレットのコースと、紙教材のコースを選べるようになっている。第一子が小6の時、タブレットコースが新設され、試行期間のため、無料でタブレットを頂けた。じっさいにタブレットを使った学習も経験している。
4人の子たちは、タブレットコースではなく、紙教材コースを希望した。子どもはデジタルを好むものという思い込みが私にあったので、意外だった。「タブレットでは勉強をした気がしない」とか「紙でないと勉強が身につかない」と言っていた、小学生、中学生のころである。
デジタルを使った学習は、ほんとうに子どもたちのためになるのだろうか?
紙ベースと比べ、同等かそれ以上に学力が向上するのだろうか?
私は、デジタルより紙の方が学力を伸ばすと思う。少なくとも、うちの子どもたちを見ていれば、そう言って間違いない。もし、うちの子たちがデジタルベースで勉強していれば、現行よりも学力は必ず低かっただろう。
デジタルを否定することはない。子どもたちがデジタルスキルを伸ばすべきであるという主張にまったく異存はない。そのとおりだ。ただ、デジタルスキルを伸ばさねばならないことと、学習をデジタル化することとは、別問題だ。
学習をするとき、デジタルですれば脳の働きが抑制され、紙ですれば活性化されるという研究報告もある。他国でデジタル教科書を導入したら学力が落ちたので紙に戻したという事例を見たことがある。教育が遅れている国で、学校を作るよりタブレットを配布してインターネットで学習する方が効率が良いのではないかとプロジェクトを進めたら教育効果がないとわかり事業を中断したという事例も見たことがある。
現在、わが国で教育のデジタル化を議論し、進めようとしているのは誰なのか。教育者なのか、ICT事業者なのか。教育者が教育効果を確かめながらデジタル化を進めているのならまだ良いと思う。教育者はデジタルの専門家ではない。デジタル化の議論にコミットできずにいる。ICT事業者はアナログ脳の教育者をおいてきぼりにしてデジタル化を善と考え、正義のためにまい進するという構図になっていないだろうか。
先日、私が参加したある集まりで、教育の研究者が小学生と中学生にインタビュー調査をするなかで、デジタル学習に関する項目があった。子どもたちの発言は、皆が皆、デジタルツールを使った学習に否定的な意見であった。研究者はびっくりしていた。私と同じく、子どもたちはデジタルを好むものという先入観があったようだ。そしてまた、デジタルでの学習に否定的なのはうちの子たちだけではなかった。
子どもたちがデジタルに習熟しスキルを向上させることは、絶対に必要である。そのこととデジタルでの学習は切り分けた方が良いのではないだろうか。少なくとも、デジタル化は絶対善ではない。議論の余地がある。デジタル化すべき事項と、デジタル化を控えアナログベースが良い事項がある。勉強にデジタル「も」「補助的な用法で」活用することは悪くないかもしれない(「悪くない」と言い切る自信は無い)。少なくとも、うちの子たちは、ICTを日常的によく使うが、勉強には補助的にすら活用していない。活用する余地がないようだ。これをあまり言うと、デジタル化を絶対善と考えるデジタル推進派が猛烈に怒りそうだ。
勉強をどんどんデジタル化したとして、その結果が見えるようになるのは数年先、またはもっと先だろう。おそらく教育現場の方々は早い時期に気づく。でも、「デジタルは絶対善」という風潮がその声をおしつぶす。犠牲になるのは子どもたちだ。そして、わが国の将来だ。
デジタルスキルのある人ほど、デジタル化の弊害に気づき、自己防衛しやすいだろう。デジタルスキルが低いほど、デジタル化の弊害に翻弄されるだろう。今は見えていない、今後あらわれるであろうと私が予測する、新しいタイプの格差だ。
デジタルスキルだけでは不足かもしれない。リテラシー、それも、人間の洞察に深く立ち入るようなリテラシーが必要だろう。残念ながら、そのようなリテラシーの涵養を学校で行うような議論は見たことがない。