[本を書いた06]本物の昔話とは?
本書では、「独学の力」を育成する要素を3つ詳解しています。
- 大量の読み聞かせ(昔話)
- 大量の読書
- 大量の書き写し
このうち、読み聞かせは「昔話」を中心とし、それは「本物の昔話」であるべきです。
「本物の昔話」とは、語りつたえられてきたままの形で再話されたもののことで、改変された昔話に気をつけねばなりません。改変されることが多いのは、「毒抜き」と「説明」があります。幼い子向けに意識されて作られた昔話絵本には、毒抜きが目立ちます。素朴な絵の絵本は改変さが小さい傾向があり、アニメ・マンガ調の絵には改変さが大きくなる傾向があります。
そのことを「かちかちやま」絵本で説明します。
「かちかちやま」はだれでも知っている昔話だと思いますが、かなりの毒をもっています。
- 食うか食われるか
- 目には目を
- 仇討ち
- だまし討ちしてでも勝つ
- 最後は抹殺
おとなの言葉で書けばえげつなさが浮き彫りになるでしょう。昔話は具体的な描写を抜いて、抽象絵画のように語るので、聞いていて残酷も残虐も感じません。動画、ゲーム、マンガなどの毒とは別ものなのです。昔話の毒を抜いてはいけません。「独学の力」は育成されません。
「かちかちやま」は2つのストーリーが合体しています。
第一のストーリー
- 畑仕事するじいさんをタヌキが邪魔する。
- じいさんがタヌキを捕らえてしばり、家につるす(タヌキ汁にすると言う)。
- タヌキがばあさんをだまして縄をとかせ、ばあさんを殺す。
- タヌキがばあさんにばけて、じいさんに「ばば汁」を食わせる。
第二のストーリー
- ウサギがやって来て、じいさんに仇討ちを誓う。
- ウサギがタヌキをだまして背中に大やけどをさせる。
- ウサギがタヌキをだまして背中に唐辛子をぬり、やけどを悪化させる。
- ウサギがタヌキをだましてどろ船に乗せて池に漕ぎ出る。
- タヌキは溺れて死ぬ。
すごいお話ですね。昔話の毒が集約されているかのようです。絵本を作る際、赤字部分に改変(毒抜き)が行われがちです。
分析すると、次の5パターンが見られます。
- ばあさんを殺す。じいさんに「ばば汁」を食わせる。タヌキを溺れさせる(とくに「死」という言葉を明示)。
- ばあさんを殺す。じいさんに「ばば汁」を食わせる。タヌキを溺れさせる。
- ばあさんを殺す。「ばば汁」を作るがじいさんは「ばば汁」を食っていない。タヌキを溺れさせる。
- ばあさんを殺す。「ばば汁」を作らない。タヌキを溺れさせる
- ばあさんを殺さない。タヌキも死なない。(「ごめんなさい」でみんな仲良し)
1 ばあさんを殺す。じいさんに「ばば汁」を食わせる。タヌキを溺れさせる(とくに「死」という言葉を明示)
いちばん毒が強いタイプです。「溺れる」「沈む」という表現は「死」と言わなくても死んだことがわかるので、2との違いは強調しなくてもいいかもしれません。
2 ばあさんを殺す。じいさんに「ばば汁」を食わせる。タヌキを溺れさせる
タヌキが「死んだ」と言わないけれども死んだことは明らかで、きわめてスタンダードな語りです。1と2が「かちかちやま」の標準形です。
右下は古い絵本で、マンガチックにも見えますが、ウサギの目が赤いことに注目。甘ったるい絵ではありません。
3 ばあさんを殺す。「ばば汁」を作るがじいさんは「ばば汁」を食っていない。タヌキを溺れさせる
「ばば汁」をじいさんが食うと、共食い(人肉食、カニバリズム)なので、この部分の毒抜きです。タヌキをタヌキ汁にして食うことをじいさんが明言するので、タヌキからすると「目には目を」なのですがね。人間は他の生き物を食うのですが。人間中心主義ですね。
4 ばあさんを殺す。「ばば汁」を作らない。タヌキを溺れさせる
人肉食を避けた毒抜きです。動物を食うのは良いけど、人間を食うのはダメ。人間中心主義は自分中心主義につながりませんでしょうか?
1や2と比べ、絵が甘くなってきていると思いませんか?
5 ばあさんを殺さない。タヌキも死なない。(「ごめんなさい」でみんな仲良し)
究極の毒抜きです。単にいたずらっ子をこらしめて「ごめんなさい」と言わせるだけの話。「かちかちやま」ではなく、別の創作話です。
絵を見れば、本物の昔話との違いが明らかでしょう。
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