[本を書いた15]失敗する権利

本を補足するような内容をTwitterに書いています。そのなかのいくつかをまとめて掲載します。(その6。追加中)

 

失敗こそが人間の醍醐味

2023年7月30日

人権の一つとして「失敗する権利」って考えられないでしょうか?現代ほど失敗に不寛容な社会は異常です。失敗こそが人間の醍醐味であり、成長も感動も失敗からしか生まれません。人間をやめますか?

時間やお金で追いつめられ、デジタル信仰、学歴信仰、経済信仰からのがれられなくなり、灰色の男たちに籠絡されていく。その根源は恐怖と不安でしょう。何を怖れるかというと、とどのつまりは「失敗」ではないでしょうか。失敗への処罰感情も異常です。自己責任という非人間的なワードも日常的に。

努力の末の失敗だけでなく、努力すらできないこと、当たり前にできると期待されていてもうまくできないこと、イタズラ、不調和、そもそも失敗とさえ言えないことに対してでも苛烈なバッシング。なんでもいいから叩きたいという誹謗中傷。犯罪者は軽重問わず一律に抹殺せよと言わんばかりの狂気。

学校教育がそこへ荷担していませんか?学校がいちがいに悪いのではない。社会の狂気が圧力となって学校に襲いかかっている。完全ホームスクーリングでやってきたわが家にはそんなふうに見えています。学校環境を反面教師として、わが家では極力「失敗する権利」を尊重し大切にしてきました。

いざ失敗するとつらいです。じゃあ、どうやって挽回しようかとか、どうやって後始末しようかとか、こんな失敗繰り返したくないとか、あれこれ考えます。立ち止まって振り返り考えるには時間の余裕がうんとうんと必要です。これこそが人間らしいあり方だと思います。普通じゃないんですかね、これが。

失敗に対して寛容になりませんか?

2023年8月1日

「失敗する権利」は私にとっても大切ですが、あなたにとっても大切です。ある人が社会の役に立つかどうか、利益を生むかどうかなどどうでもいい問題です。失敗することが生きていることの証である。

失敗する権利を認めようとすれば、寛容でなければなりません。おおらかでなければなりません。時間にもお金にも。そして同時に失敗から学ぶ知性も必要です。学校の勉強とは異質なものです。一度の失敗で学べる人もいれば、同じことを10回失敗してようやく学べる人もいる。良いではありませんか。

何度も繰り返してようやく学べたとしても、それも知性でしょう。人としての尊さがうかがえます。いっぽう、デジタル、学歴、経済などの成功者と自認する人の中には(もちろん一部ですよ)人間や社会をまるで理解していないように見える人も見受けられます。大きな失敗が待ち構えていそうです。

失敗という言葉では捕捉しきれない人たち、つまり経済的な利益を生み出せない人、サポートを必要とする人たちにも現代社会は冷酷です。子どもや若者にも冷酷です。そういう方々がいるおかげで今日の私がある、とは考えない。お金で全てを測ろうとする。その未来がどうなるか、思いをめぐらせない。

灰色の男たちの思うつぼ。時間やお金に追われるからこそ、許せなくなる。レッテルを貼って敵味方を分け、攻撃せずにいられない。大のおとながそんなことを恥ずかしいとさえ思わずやっている。まずは立ち止まってみませんか?落ち着いて周囲を見渡してみませんか?失敗に対して寛容になりませんか?

 

(続きは次のページへ)

 

 

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