[本を書いた24]昔話が抽象概念を育成
昔話とは抽象
2023年11月22日
昔話が人間形成に有効だとしばしば言われるけど、学力形成に有効だとはちょっと聞かない。でも、私は確信しています。私が知る限りで学力形成に最も有効なのが昔話です。創作児童文学や創作絵本ではなく。
昔話が学力形成に有効だと言っている人が見あたらないので、ここからは私の持論。創作話や文学とは違い、昔話は具体的な描写や説明がなく、超シンプルで超構造的です。昔話の残酷な場面を問題にする人もいますが、具体性が欠落しているので抽象に過ぎず、残酷性が見えない。残酷は妄想といっていい。
つまり昔話は抽象なのです。創作話や文学は具体です。まるで別ものです。昔話を大量に読み聞かせすることは、抽象概念を耕していることになります。幼児にも可能な形で。抽象概念のインストールなので、もちろん中高生でも大人でも有効です。昔話を子どもの読み物だととらえるのはもったいない。
抽象概念力の獲得
2023年11月23日
勉強ができるかどうかの違いは、抽象概念力に尽きると考えています。人間と他の動物との根本的な違いは抽象概念を扱えるかどうかではないでしょうか。言語らしきものや道具はサルでも使えます。
人間は抽象概念を扱えます。ただその程度には大きな個人差があります。抽象概念とは五感で把握できないものへの理解といってもいいと思います。それはつまり考えることです。もしサルに抽象概念力があったら、文明を築きあげてしまうでしょう。でもヤツらはいつまでたっても同じことをやっています。
頭がいい、悪いという言い方にはどうしても抵抗があります。頭がいいのは遺伝だというのもそれこそ思考停止。抽象概念力は生まれてから修得するものでしょう。そのための環境が家庭によって大きく違うということを問題にするなら「生まれつき」も間違いとは言えなくなりますが。教育格差ですね。
抽象概念力がいかに大切か
2023年11月24日
世の中の勉強法、学び方はすでに抽象概念力がそこそこのレベルで具わっていることが前提になっています。抽象概念力をどう身につけるかはそうとう難しい。そもそも抽象概念力とは何かということから。
考える力。理解、分類、総合、分析、推論、予測、論理、こういったものすべて。それを可能にするのが抽象概念力だと考えています。学校の勉強は大部分が抽象概念です。小学4年生から上の勉強は抽象概念がすべてといっていい。抽象概念力が低いと何をどう頑張っても伸びない。頭が悪いのではない。
うちの子たちは完全独学の完全ホームスクーリングで勉強してきたし、学校に行っている子と比べても勉強時間は短かったでしょう。それでも難関国立大学の入試問題ぐらいは普通に対応できます。生まれつきでは断じてありません。抽象概念力を磨くことを第一にしてきたからです。それしかありません。
昔話の劇的な力
2023年11月25日
完全独学の完全ホームスクーリングで勉強してきたうちの子たちが大学受験を志すようになり、短期間で難関国立大学レベルに対応できており、子どもたちにはそれが普通のことでなんてことない自然でした。
ところが模試の成績や受験情報などをみるとそうではないことがわかる。多くの受験生はなかなかそこまで届かない。ではなぜ自分たちは苦もなくできるのか? つきつめていくと、昔話です。そこしかありません。読み聞かせをがんばる親はそれなりにいますが、昔話に特化した読み聞かせはいないかも。
そもそも書店では本物の昔話をほとんど売っていません。図書館や中古を利用しないと読むことができません。だからそこはがんばった。本物の昔話は抽象概念力を劇的に育成します。小学1年生から完全独学できたのは当たり前のこと。塾も幼児教育も不要です。教育格差を無効化する手がかりでは?
昔話の喪失は国家の大損害
2023年11月26日
本物の昔話がもつ抽象概念育成力はものすごいのですが、なぜか近年は人気がありません。新自由主義が幅をきかせてくると、お金をかけるほどよいものであるという信仰がはびこるからではないかと思います。
昔話は名もなき人々の間で語られてきたので、ほんらい無料です。本の形にすればそのぶんだけはお金がかかりますが、他の学び方と比べれば格安でしょう。図書館を利用すれば完全に無料です。ただし、昔話の本でも、残酷な描写を変えたり教育上の配慮をしたりと改変が常態化しています。
これは由々しき事態です。改変されたら昔話ではありません。抽象概念育成力は消滅します。改変されていない昔話をさがすこと自体が困難になってきました。本物の昔話が書店から消えかかっているということは、今の子たちは本物の昔話に触れていないと思われます。わが国の大損失です。
(次のページへ)