大学合格後4

わが家には4人の子どもがいますが、日本社会では子どもが歓迎されていないと感じます。とくに多子家庭は国家から罰せられていると感じます。田舎に住んでいるから自衛できた。ホームスクーリングだから自衛できた。土台づくりに注力することで自衛できた。だから少子化推進政策に負けなかった。

何かをするとき、材料と道具を買って自分でするのと、他人に委託するのとでは、かかるお金がまるで違います。塾、習い事など典型的です。参考書・問題集を使って自分で勉強するのと塾へ行くのとでは、数十倍ぐらいの開きがあるのでは?多子家庭では他人への委託は元々困難なのです。

私が住む童仙房という地域は、明治2年に始まった開拓地です。江戸時代には人が住んでいなかった地域です。先人たちの大変な苦労の上に我々が暮らしています。この地域の伝統は「自力」です。わが家が住んでいる家は、開拓時の家屋を私自身が全面改修(建て替えに近い)したものです。

都会で生まれ育った私が童仙房へ来て学んだことは「自力」です。すべてを自力は無理ですが、自力でできることを拡張するのです。できないこともあります。自分のスキルを周囲へ提供し、違う場面で周囲から助けて頂く。このような生き方を学びました。わが家のホームスクーリングの原点でもあります。

私は人生の半分を都会で、半分を田舎で過ごしました。都会は便利だけど自分でできることは意外と少ない。他人に委託することばかりなので必然的にお金がかかる。田舎はお金で買えるサービスが少ない。他人に委託しづらい。だから自分でできることはとても大きい。それを人は不便というのだが…

うちの子たちは田舎生まれの田舎育ちで、しかも多子家庭のホームスクーリングだから、自分でできることは自分でやる。生まれた時からそういう世界で生きてきました。大学合格までは親もやきもきしたけど、合格後は心配ない。一人暮らしも心配ない。大学の勉強も心配ない。仲間作りも心配ない。

完全独学でやってこられたなら、どんなことも自分でできる。独力ですべてできるという意味ではありません。仲間と協力しあったり、必要な援助を求めたり、何をどうすればいいか自分で考えて自分で動ける。子どもたちの近況報告を聞くのが楽しい。困ったことも出てくるだろうけど、まあなんとかなるかな。

格差の克服には自力スキルの向上ではないかと思えます。自分でできることを可能な範囲で増やす。その上で、人々と協力し合うという考え方です。特殊なスキルが必要なのではありません。開拓地では自分でやるしかなかった。原野を集落にするのだから。都市では当たり前のものが、ここにはない。

私がいつも主張する土台づくりというのは、自力スキルの育成と言ってもいいです。土台を育成すれば勉強ができるようになる、というのは飛躍があります。[土台→自力スキル→勉強ができる]ということです。勉強以外、何でもOK。自力でやるのは楽しい。やらされるのと違うので。生きる意欲です。

土台づくりは人間的な営みです。人間そのものを育成し磨く営みです。そんなものは計測できません。人間が本来持つ力を大きく育てます。本来持つ力は人それぞれなので一律にマニュアル化することは不可能です。弱い土台より強い土台の方が、その人ができることは多くなり大きくなる。間違いない。

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