[HS5]勉強は遺伝か?

「普通の子は独学なんてできない。独学できるのは遺伝だ!」

「普通の子は独学で国立大学なんて無理。遺伝だ!」

これ、ずいぶん言われました。

遺伝が学校の成績にどの程度影響するかという研究があります。一卵性双生児と二卵性双生児の比較で明らかになったもので、遺伝の影響は50~60%程度だそうです。遺伝が無関係ということはないけど、遺伝だけで決まらない部分が半分くらいあります。遺伝以外が半分もあるなら、遺伝は無視できるだろうと思います。

高学歴の親の子が高学歴となる割合は高いという統計も多数あります。高学歴の親の子が低学力、非行、さらには家庭崩壊というケースもまったく珍しくありません。両親高卒で東大・京大へ合格する子もいます。

なにが分けるのか、というと、幼少期の過ごし方です。もっというなら、「勉強が大事だ」と親がどのくらい意識しているか、とも言えます。

子どもが勉強ができるようになってほしいなら、絶対に避けるべきもの3つ。テレビとゲームとスマホ。他にもいろいろあるでしょうが、この3つは三悪で、異論はないのではないでしょうか。(私が子どもの頃はテレビとマンガの二悪)

『東大生、教育格差を学ぶ』という本には、「私は10歳ぐらいまで、漫画という存在すら知らない状態で育ちました」という人がいます。すごいですね。家に漫画は1冊もなく、友達も漫画を話題に出さない(似たような育ち方の子ばかりの環境)、書店でも漫画売り場に行かない、たぶんテレビも著しく制限されていたでしょう。

教育熱心な家庭では、三悪を無制限で子どもに与えることは無いはずです。むしろ、厳しく制限あるいは排除されているでしょう。かたや、教育熱心でない家庭では、平気で幼児にこれらを与えています。子どもたちがべったり三悪に浸かりきっているケースが多いでしょう。テレビがいつもつきっぱなしとか、家族それぞれがいつもスマホをさわっているとか、ゲームやりほうだいとか。

このような差があれば、遺伝以前の問題です。同じ環境にあっても結果が大きく違うなら、遺伝の影響が考えられますが、環境が劇的に違うなら、遺伝云々はお門違いです。

こんどは、子どもが勉強ができるようになってほしいなら、やるべきこと。なにをおいても、読み聞かせです。教育熱心な家庭では、読み聞かせに一生懸命取り組みます。拙著を読んで下さった方の中には、「読み聞かせなんて考えたこともなかった」と言った方々がおられます。そのご家庭のお子さまは読み聞かせゼロだったのでしょう。読み聞かせをたくさんしてもらった子とゼロの子では、勉強に関して同等のはずがありません。最初期から覆せないほどの差ができています。教育格差は小学校高学年ではすでに固定されており、ほぼ変動が生じないという研究もあります。

私は著書を書くよりずっと前から、いろんな方々(親)に読み聞かせの大切さを伝えてきましたが、徒労でした。わかる人は私が言わなくても当たり前のようにわかっています。わからない人にこそ伝えたいと思ったのですが、「忙しくてそんな時間がない」と判で押したような答えが返ってきます。で、そういう親がどう過ごしているかというと、テレビ、スマホ、ゲーム・・・。(もちろん、本当にどうにもならない人もいますが)

親のプライベートな時間を子どものために割り当てようとするかどうか。読み聞かせは1日10分ぐらいでもいいのです。もう少し長ければなお良いのですが、毎日10分と、永遠のゼロではその差は巨大です。

教育熱心な家庭は、遊びも電動オモチャより積木やブロックや複雑なパズルを優先します。前者は刺激だけで創造性が期待できません。後者は図形感覚、形状の創造、忍耐、バラバラの状態から完成形をイメージするなど、勉強に不可欠な資質が育成されます。

教育熱心な家庭は文化的な活動を優先します。動植物園、水族館、博物館、芸能(能、人形浄瑠璃、バレエ、クラシックコンサートなど)、教育的野外活動・教育的キャンプへの参加、戦争と平和関係の見学、学問に触れる機会・・・

教育熱心でないご家庭はどうでしょう? 遊園地、テーマパーク、ショッピングモール、その他娯楽施設には行くでしょう。上記、文化的活動はゼロに近いのでは?

わが家は、教育熱心家庭と言っていいでしょう。ただ、世間の教育熱心な家庭は受験を目指すでしょうが、わが家はそうではありません。だから、上記のパターンと同じではありません。

教育熱心でないご家庭で育った子は、挽回不可能なのでしょうか? 一般的に言えば、残念ながら、そのとおりでしょう。幼少期の過ごし方があまりにも違いすぎれば、マンガにあるような逆転劇は起きようがありません。それでも、挽回への道が閉ざされているわけではありません。

 

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