[HS9]大学進学は副産物
誰からも勉強を習わず、完全独学・完全ホームスクーリングで三重大学、大阪大学、京都大学へ合格したというとセンセーショナルに聞こえるかもしれません。著書を出したとき、やや誤解される向きもありました。
ハンディのある状況からそれを乗り越えて難関大学合格!という、よくあるシナリオと同一視されたこともあります。(多くは著書を読んでいない人だと思います)
だとすると、大学受験のためにホームスクーリングをやっていたということになり、英才教育になってしまいます。
それはマズイ。
まったくもってマズイです。
何がマズイかというと、新自由主義に抗する生き方として、受験にのみ込まれないよう、競争だけで生きていくことのないよう願ってのホームスクーリングなので、真逆だからです。親として子どもに期待するのは「自分の人生を自分で生きる」こと、それだけです。具体的にはどんな生き方でもいい。学校へ行こうと行くまいと、どこに住んでどんな仕事をしようと、親が口出しすることではない。
「自分の人生を自分で生きる」ことは、「主体的に生きる」のと同じ意味です。レールに乗っかって生きるのはよくない。だって、不平不満がいっぱい出るじゃないですか。誰かに指示された生きたかをするのもよくない。自分の人生を自分で生きれば、不平不満などあろうはずがありません。どんなに失敗したとしても。
自分の人生を自分で生きていない人はあまりに多い。新自由主義にのみ込まれてしまったら、そうできない。ラットレースに駆りたてられてしまう。
「満足な豚より不満足なソクラテスの方がいい」
自分の人生を自分で生きるには、学校教育でいう教科学習も大事です。学校の勉強なんて役に立たないという人も多いようですが、そんなことはありません。ただし、学校の勉強を人生にいかせるかどうかはその人次第です。
学校の勉強を習得するには理解と反復だと言いましたが、理解の根本は読み書きの力です。読み書きの力を大きく大きく身につけたら、物事を考えることができるようになります。そうすると、学校の勉強を人生のさまざまな局面でいかすことができます。これが自分の人生を自分で生きるために必要なことだろうと考えていました。
読み書きの力を身につける方法はいろいろあるでしょう。私が提案する方法が唯一ではありません。世の中には、他の方法で読み書きの力を身につけた人がいくらでもいるので。
私が提案する方法は「独学の力」として著書に書きました。
- 大量の読み聞かせ(ホンモノの昔話)
- 大量の書き写し
- 大量の読書
これらを長年続けて読み書きの力がじゅうぶんにそなわらないことはありえません。すると、自分の人生を自分で生きることが見えてきます。
そして、自分の人生を自分で生きる過程として、子どもたちが自らのチョイスで大学進学を望んだのです。子どもが望むので親は一生懸命応援する、それだけのことです。