[HS21]文系と理系

平成以降の極端な理数系偏重、文系軽視の風潮はじつに嘆かわしい。国家の危機でもあります。

私たちは人間です。人間でない人間はいません。その「人間」を解き明かそうとするのが文系の学問なのです。人文・社会系の学問は人間をどこかの切り口で追究しています。テーマが人間なのだから、答えが1つに定められないのは当然です。かたや、人間以外を解き明かすのが理系です。数学、科学技術、自然など、いずれも人間以外です。医学は人間を扱いますが、身体(モノ)として扱います。精神医学は文系と重なる部分もあります。

文系が扱うのは、人間の心、行動、社会、人間という存在の意義などです。

こうしてみると、文系と理系を分けて、どちらか一方、という体系が現実離れした虚構であると気づきます。

文系を欠いた理系は、人間存在が欠けているわけで、その学知をどう活かすか、という視点が欠けています。人間不在のままあまりに科学技術を進めると、破滅的な展開があり得ます。人類の福祉に沿った科学技術であるためには、文系が不可欠です。

理系を欠いた文系は、文明社会に人間を位置づけることができず、人間という存在がかえって捉えられなくなってしまいます。

私は文系と理系の双方の視点と学知を具えることを理想と考えています。子どもたちには、できるだけ、偏りのない教科学習を説いてきました。そもそも広い学力には文系も理系もありませんので、あくまでも教科学習においての文理です。教科学習は理数系偏重がますます強まっているので、文系を重くしなければニュートラルになりません。人間への理解を欠くことは危険極まりなく、人生においてもデメリットです。

私の考えでは、文系も理系も同等なので、子どもたちが大学進学を志すまでは、進路が文系とか理系とかいう意識はありませんでした。

子どもたちが大学受験を志すにあたっては、いちばん大事なのは偏差値などではなく、就職状況なんかでは全くなく、大学で何をやりたいか、です。そのやりたいことはどの大学のどの学部でできるのか。複数あるでしょう。子どもたち自身が大学案内を多数取り寄せて比較検討しました。

4人の子どもたちが大学でやりたいことはマチマチです。ですが、4人に共通しているのは「人間」です。自分がやりたいこととしては、理系の学問ではなかったようです。親として文系よりに育てたということはなく、文系学部を勧めたこともありません。すべての学問、学部がニュートラルで、子どもたちが自分で考えて選択しました。子どもたちの選択や決断に親は口をはさんでいません。

第一子は小学生のころ、ロボットを作りたいとか、プログラミングをしたいとか言っていました。そういう道へ進むのかな、と思っていましたが、けっきょく、人間だそうです。大学にはいったころは哲学をやりたいと言っていましたが、選んだのは言語学(哲学の範疇とも言えますが)。第二子は、子どもたちが良くなるような世の中を目指したいとのことで教育学(教員志望ではなく)、第三子は人間の営みを明らかにしたいと、歴史学。

子どもたちに対して、親からの希望や期待はありません。唯一の願いは「自分の人生を自分で生きる」こと。それだけ。具体的な形はなんでもいい。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA