[まとめ7]ホームスクーリングと学校教育
学校教育に対してオルタナティブ教育という言葉があります。
塾や予備校などの教育産業は学校教育の補完なので学校教育の範疇にはいります。
学校、教育産業以外のすべての教育はオルタナティブ教育といっていいでしょう。
とはいっても、学校教育しか知らない人が多く、「それ以外?????なにそれ???」でしょうか。
シュタイナー、サドベリー、モンテッソーリ、ニイルなどの著名なスクールは、オルタナティブ教育です。
ホームスクーリングもオルタナティブ教育に入ります。
スクール形式か、在宅形式かという違いです。
スクール形式のオルタナティブ教育は著名なもの以外にも非常に多数、多様なものがあります。
現在、不登校の子たちの居場所となっているフリースクールもオルタナティブ教育でしょう。
不登校の子たちの居場所には学校教育の補完的なものもありますが。
学校教育は非常に大きな存在です。
それに対してオルタナティブ教育はそれぞれが弱小で、個別に理念や信念を掲げています。
オルタナティブ教育はそれぞれが独立しているのですが、おおまかに共通点があるように思います。
学校教育と同じであるならそもそもオルタナティブ教育を立ち上げる意味はなく、学校教育の逆だから意味がある、と考えれば当たり前なんですが。
学校教育の特徴は、画一的です。目標設定し(学習指導要領)、全員一斉授業を行い、達成度を評価し、成績をつけます。集団は学年ごとに分断します。生徒が先生に教わる形です。
オルタナティブ教育はその逆です。
個別的。授業はしない(子どもたちの関心に基づく活動あり)。そもそも目標は設定しない。だから評価無し、成績無し。異年齢混在、先生という概念無し。
まあ、だいたいこんな感じは共通していると思います。
わが家のホームスクーリングもこんな感じでした。
学校教育は、すべての子どもたちに同質の教育を提供しなければいけません。
とくに小中学校は義務教育として定められています。
ちなみに「義務教育」とは、子どもにとっての義務ではなく、大人が普通教育を与える義務です。
そうなると学校教育は画一、一斉、目標、評価という形式でしかできないでしょう。
すべての子に同じ教育を提供するのはいいとして、すべての子を強制的にそこへはめ込む、となると不穏です。
戦前戦中ではありません。
全体主義国家でもありません。
なので、学校教育と逆のパラダイムを持つ教育のあり方をつくっていこうではないかという運動が生じてきました。
学校教育のように一律に与え評価するというのではなく、1人1人を大事にしようというベクトルです。
子どもたちはほんらい学びたいという意欲を持っているのだが一律に与えるので意欲を失ってしまう。
学びたい意欲を大切に育てていけば、主体性をもった人間に育ち、高い学力、高い社会性が身につくのだ、という感じでしょうか。
規律よりも自由が大切だと。競争より協働・共生。
学校教育にべったりつかっている人は、こう言うでしょう。
「子どもは強制しないと勉強なんかしない。自由なんか与えたら堕落してしまう。大事なのは競争だ、規律だ!!」
オルタナティブ教育では、そのような考え方を忌まわしいものとするようです。
実際のところ、どうでしょうね?
学校教育で育った子にも、学力は格段に差があり、社会性も優れているとはいいがたい子がとても多い。
オルタナティブ教育は実例が僅少なので、比較が困難です。
不登校を契機にオルタナティブ教育に転ずる子も多いです。
学校教育からオルタナティブ教育に転じる子もいます。
学校教育擁護者がオルタナティブ教育を論じるとき、論点は学力と社会性に集中しています。
ということは、学校教育の肝心は学力と社会性であると見てもよいと思います。
うまくいったかどうかの評価基準は学力と社会性でしょう。
オルタナティブ教育側からすると、たぶんそれは不服で、人間としての育ち(人間性、生きる力)こそ大事だと言うでしょう。
わが家のように、最初からオルタナティブ教育でやってきた子はきわめて少ない。
わが家のケースだけでオルタナティブ教育を語ることはできません。
わが家のケースだけを見た場合、学力と社会性は学校教育水準を大きくクリアしているでしょう。
学校教育的な学力とは、偏差値のみをいうようです。
本当の学力とは、自分で問いを立てて考え抜くことだと思いますが。
「独学の力」とはそのような学力を育成するものです。
学力の一部として偏差値がありますが、ホンモノの学力が身についたら、偏差値は心配ない。
社会性もそうです。
授業への積極的な参加(発言、グループワークなど)、友人たちとの交流、サークル活動、アルバイトなど、精力的にこなしています。
サークル等の活動でそれぞれ、リーダー的なポジションにもついています。
わが家のケースでオルタナティブ教育はどうだ、という普遍化は無理ですが、少なくとも、オルタナティブ教育ではダメだ、という極論は成り立たないということは言えるでしょう。

