[まとめ8]AI時代だからこそ自分の人生を自分で生きたい
私は戦後世代なので、戦争も戦後混乱期も経験していません。
それでも、高度経済成長、オイルショック、米ソ冷戦、核開発競争、核戦争危機、ノストラダムスの予言狂騒、バブル経済、バブル崩壊、金融破綻、政権交代、阪神大震災、東日本大震災、原発事故、リーマンショック、失われた35年、インターネット黎明期、パソコン普及前と普及後、携帯電話・スマホの普及前と普及後などなど、めまぐるしいほどの世相の推移を経験しています。
世の中の価値観も、別世界かというほど変わってきました。
これから先の時代、さらなる激しい変化が予想されます。
このような時代に、子どもたちには何があろうと強く生き抜いていってほしい。
親として切なる願いです。
第一子が生まれたときから、どう育てていくかは夫婦で毎日対話してきました。
子どもを受験に追い立てる学歴獲得路線は、私はぜったいNGでしたし、妻も同意見でした。
どこに住もうと、どんな仕事をしようと、どんな家庭を築こうと、または生涯独身を選ぼうとも、自分の人生を自分で生きてほしい。
本人が望んで選んだ人生なら、親は口出ししない。
そのために何が必要だろうか?
第一子が生後6か月から読み聞かせを始めました。
最初は定番の絵本などです。
やがて気がつきました。
ほとんどが創作絵本、創作児童文学で、昔話が極端に少ない。
そのころ、私は昔話のもつ偉大な力に意識が足りませんでした。
やがて、創作と昔話を混在させて読み聞かせていくうち、その違いに気づいてきました。
第一子が少し大きくなり第二子が生まれた後、昔話を意識して増やしていきました。
ただ、昔話は書店にあまりありません。
改変された昔話ならまあまあありますが、あれは昔話ではない。
ホンモノの昔話は主として図書館または中古(古本)に頼らざるをえません。
昭和にはたくさん出版されていましたから。
平成以降、ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)という概念が行き渡るようになってきました。
人権、平和、環境、平等、公平など、誰が考えても反対できない価値観です。
これらが広く認知されてきたのは良いことでしょう。
だから各種ハラスメントが許容されなくなってきました。
差別も許容されなくなってきました。
ところが、正義というのは行きすぎると邪悪に転じます。
「地獄への道は善意で舗装されている」というアメリカの格言もあります。
正しいはずのことが先鋭化すると、暴力的、排他的、全体主義的となります。
これは非常にまずいです。
現在、ポリコレは否定的、揶揄的、侮蔑的なニュアンスにも使われます。
子どもたちには真っ当な感覚を磨いてほしい。
ポリコレの一部として安全イズムもあります。
リスクを極端に怖れ、ゼロリスクでないと許容しない。
子どもから一切のチャレンジ、自由行動を奪うことを正当化する動きがあります。
AI(人工知能)は、人間から失敗、非効率、非生産性(役に立たないこと)、を排除しようとします。
人工知能を開発する目的は、まさにそこにあるので、当然です。
だから、AIと極端な安全イズム、極端なポリコレは相性がいい。
これは危険です。
何が危険かというと、人間が人間でなくなるからです。
学問のうち、理数系のみが推進され、文系学部、とくに文学部が不要扱いされ、縮小・排除に向かっています。
ところが、人間とは何であるかを研究するのが文系、なかんずく文学部なのです。
AIが文学部を疎外することはAIが人間を疎外することの裏返しでしょう。
人間とは、役に立たず、非効率で、失敗することに意義があるのです。
チャレンジとは、うまくいかないことを前提として行われます。
人工知能依存社会はチャレンジを容認しません。
それはつまり、人間が人間であることを容認しないのです。
さらに人間には身体があります。
バーチャルな存在ではありません。
身体が不要であるなら、すでに人間ではない。
子どもたちには、どこまでいっても、どんな世の中になっても、人間として人生をまっとうしてほしい。
幼少期から、チャレンジを推奨してきました。
失敗、挫折、ある程度のリスクやケガ、悩んで、落ち込んで、這い上がって。
役に立たないという視点は優生思想に結びつきます。
役に立たないと思われるモノ(ガラクタ)も行動もすばらしい!!!
非効率なんて、あっち向いてホイ!
子どもたちは、反脆弱性をもっています。
無駄、無理、無用、危険を好みます。
可能な範囲で自由にさせてやります(自由遊び)。
身体も自由自在に思う存分使います。
ブルーカラーの仕事もいいですね。
必要以上に稼がなくてもいい。
人生を充実させる方がよほど大事です。
AIは強い人たち(高学歴、高所得、高地位)をさらに強くします。
ポリティカル・コレクトネスは先鋭化していけばAIと同期して強者をさらに強化します。
そのぶん、弱い人たちは見えなくなっていきます。
人の絆を弱め、断ち切る。
強い人たちはそれでもやっていける。
弱い人たちは視界からフェードアウトしていく。
反脆弱性は絆を回復します。
絆を弱めることは脆弱にほかならないので。
ホンモノの昔話は反ポリコレ的です。
差別、暴力、残酷、欺し、裏切り、陰謀に満ち満ちています。
これらを疑似体験として生きる。
すると、それらの意味が身体的に経験される。
まっとうなポリコレ感覚が身につきます。
先鋭化されたポリコレは邪悪です。
そうではないまっとうなポリコレ感覚です。
昔話を徹底的に読み聞かせることで反脆弱性を育みます。
もちろん、じっさいに身体を使って自由遊びをすべきです。
そしてホンモノの昔話がじゅうぶんインストールされたら、書きうつし、読書へ発展していきます。
古典的な文学作品はさらにえげつない反ポリコレをモチーフとしています。
それが反脆弱性をさらにさらに育てていきます。
これが、私が考える「学び」です。
ここまで「独学の力」を育てたら、受験にも対応できますし、広い意味の学力、社会性、スキル、社会の変動などへ対応していけるでしょう。
人の絆を回復しましょう。
「独学の力」を育てたら、あっち向いてホイ!したはずの効率、生産性、危機管理へも対応できます。
その逆を学んできたのですから、当然です。

