リベラルさん江

リベラルの退潮が目をおおうべくもない。
先鋭化し続ける不寛容さが人心を遠ざけていると思うのだけど、どうだろう?

私が主張する「独学の力」はどの政党が政権をとろうと、誰が総理になろうと、どんな社会体制になろうと、影響を受けないので、政治の話は関与しないできました。
それでも、いろいろ勉強するうち、リベラルが障害をなしている部分があるとわかってきました。
わが家でやっている分には問題になりませんが。

人権、平和、環境、平等など、リベラルの理念は真っ当なものが多々あると思います。
(全面的な賛同ではありませんが)

とくに差別をなくすというのは、だれも反対できない絶対的な正義でしょう。
私も全く異論ありません。

しかし、次から次へと差別用語を指定して言い替えを強要するのは、どうなんでしょう?
それで差別が減りますか?
誰がいつどんな手続きで指定したのかわからない「差別用語」をうっかり公人が使ってしまうと、激しい抗議をし、場合によっては謝罪しても許さない。
社会的な抹殺にまで追い込んでしまうほどの事件も多発しています。(とくに欧米では)
これはリンチでは?
まさにこのリンチこそが差別では?
人の尊厳を大切にし、いかなることがあろうと侮蔑しない。
差別を克服するとはこういうことではないでしょうか?

思想が強い」という言葉があります。
10年以上前から、主に若い人たちの間で使われてきているようです。
思考停止ではないかと思っていたのですが、最近になってこの言葉の意味がわかりました。
リベラルが怖いのですね。
距離を置きたいのですね。

ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)という言葉があります。
だれも反対できない正義です。
まさにリベラルが主張する理念のいくらかが該当します。
だれも反対できない。
だから、異論・反論は許さない。
マスコミも企業も行政も立場ある人々も怖くて何も言えない。

たった1度の些細なミスも許さない「ゼロトランス」、
ポリコレ違反を社会的に制裁する「キャンセルカルチャー」「コールアウトカルチャー」、
場合によってはその人の過去の言動まで掘り起こして糾弾する。

たとえば阿部監督の逮捕事件。
報道では、児相へ初めての相談。長女にはケガが無い。
こんなことで逮捕、人生抹殺、キャリア崩壊するのなら、だれも子どもを持つことができない。
虐待をゼロにするためには子どもをゼロにしようという理屈になってしまうのでは?

リベラル的な正義は、暴走し先鋭化し自滅への道をたどるようですね。
フランス革命、共産主義革命、わが国では学生運動、中核、赤軍、などなど。
最初は多くの賛同を集めます。
正義なので異論を許さず、異分子を排除していきます。
だんだん人心が離れていきます。
するとますます先鋭化します。
活動の中心にいる人たちが暴力をふるうようになり、凶暴化します。
全体主義的になり、恐怖が覆います。

欧米では日本以上にポリコレの嵐が吹き荒れているようですね。
欧米ではリベラルが退潮して極右が急進しています。
極右は怖いけどリベラルはもっと怖い」というのが人心では?
これは右傾化ではありません。
反・過激なポリコレです。

日本でもリベラルが風前の灯火です。
私の言っていることが的外れであったとしても、リベラル消滅の危機という現実は変わらない。

リベラルの活動家たちはこのことに気づいていないように見えます。
そこで、リベラルの方々にいちど立ち止まって考えていただけたらと願い、提案してみます。
どうせ無名のオッサンが言うことだから、無視してくださってもどうってことはありません。

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異論・反論に寛容となり、対話を第一とする。
ゼロトランス、キャンセルカルチャー、コールアウトカルチャーを一掃する。
寛容なリベラルであるよう、たえず自己点検する。
差別用語、言い替え用語はすべてを撤回し解放する。
文学(とくに児童文学、昔話)、芸術等で、「ポリコレ違反」を解除し解放する。

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「めくら、つんぼ、きちがい」など、どんな経緯で差別用語に指定されたのでしょうか?
侮蔑的なニュアンスで使われるのが問題なら、「いなか」も差別用語に指定して使用禁止にしましょう。
いくら言葉狩りしても、差別の実態は変わりません。
別の言葉で差別をしていくだけです。
どんどん禁止用語が増えます。
『1984年』のスピークスみたいですね。
使える言葉を減らしていくことで思考力を奪い、全体主義を強固にする。
リベラルが全体主義的であることは、まさにオーウェルの言うとおりです。

言葉は文脈で使われます。
差別は人の心でおこなわれます。
ポリコレ違反の言葉を狩り、ポリコレ違反の文学や芸術を狩ることじたいが差別的では?
少し古い時代の差別を強く含んだ文学(児童文学)を読むことで、子どもたち(おとなももちろん)は差別の実相を学びます。
ポリコレ違反の昔話をたくさん読むことで子どもたちは人間の尊厳を学びます。
現在のリベラルのあり方では、子どもたちから差別を学ぶ機会、人間の尊厳を学ぶ機会を奪い、不寛容を学ばせています。
人間は間違いをおかす存在です。
現在のリベラルが目指す世界はどのようなものでしょう?
すべての人間を消し去れば、たしかに差別はなくなります。

リベラルが不寛容を一掃し、寛容なリベラルとして人々の支持を回復することを切に願います。
リベラルも保守も、その他さまざまな意見、価値観が互いに尊重しあい、健全な対話ができることを切に願います。

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